【伊藤謙 あいホーム(第1回)】もし工務店3代目社長がドラッカーに出会いDXしたら ~震災のピンチに顧客創造~
株式会社あいホーム 代表取締役 伊藤 謙
課題解決キーワード:「企業の目的は、顧客を創造することである」
現代経営学の父、ピーター・ドラッカー。多くの経営者がドラッカーから経営を学んだことだろう。宮城県仙台市を中心に事業を展開している工務店「あいホーム」の伊藤謙社長もその一人。同社はコロナ禍にもかかわらず、前年比130%の受注を獲得した。好業績を支えるのは、「デジタル技術を駆使した業務改革」いわゆるDXだ。
地方で展開する工務店と聞くと、おおよそDXとはかけ離れているイメージを持つだろう。
伊藤氏が工務店のDXの取り組みを具体的に解説した著書『地域No.1工務店の圧倒的に実践する経営』~DXで生産性最大化、少数精鋭で高収益!~(日本実業出版社)が話題になっている。
ドラッカーに心酔し、工務店のDXでドラッカーの思想を実践した伊藤氏のストーリーを紐解く。
小さな町の少年がドラッカーに出会うまで
次期社長と刷り込まれる
伊藤氏は1984年に宮城県加美町で生まれた。人口2万人ほどの小さな町だ。伊藤家は、建築資材を販売する「株式会社伊藤ベニヤ商会」を家族で経営しており、幼少期から、家族が集まるたびに「次期社長」と刷り込まれていたという。
「柔道をやっていたので、ストイックに言われたことを真面目にこなすタイプの子どもだった」(伊藤氏)
幼少期から次期社長と言われるたびに、「将来は親の仕事を継ぐだろう』と自然と想いが固まっていった。
ラグビー強豪校に飛び込む
広い世界を見せようとする父の勧めで、高校は地元を離れ、神奈川県の桐蔭学園を受験した。高校で入部したのは、柔道部ではなく未経験のラグビー部。桐蔭学園といえば、全国有数のラグビー強豪校。そこに、地方から来た初心者が突然飛び込んだのだ。厳しい毎日の練習。3年間ついていけるかと不安でいっぱいだった。しかも寮生活で逃げ場はない。
「自分を逃げ場のないピンチに追い込むことで、新たなチャンスが生まれる感覚を知る最初のきっかけだった」(伊藤氏)
その後、いくつもピンチが伊藤氏を奮い立たせ、チャンスへと転換させることとなる。
強豪校で3年間のラグビー部の活動をやりきった伊藤氏は、明治大学商学部に進学する。
ドラッカーと出会い夢中になる
大学でもラグビーは続けたものの、経営学をとことん学ぼうと決め、そこに集中した。
ここでドラッカーの「顧客を創造する」という思想に出会い衝撃を受けた。ゼミで夢中になって学び、学生プレゼン大会にも出場した。
「ドラッカーは大学時代に完全にインプットした」(伊藤氏)
大学卒業を控えた伊藤氏は、家業を継ぐかどうかの選択を迫られた。
頭に浮かんだのは当時50人ほどいた家業のスタッフだった。スタッフの家族を含めると約150人。それを支えているあいホームの多くの顧客。
そして「この人たちのおかげで、楽しい学生生活を送れている自分がいる。」という想いに至った。
あいホームを継ぐための経営修行
住宅の基礎を学ぶ
大学を卒業し、家業を継ぐ決意を固めた伊藤氏だが、すぐに宮城に戻ったところで力になれないことは承知していた。そこで、まず、山形県にある住宅会社の営業職を修行先に選んだ。“全国規模”の経営、”厳しい”社風、そして期間限定で辞めていくことに“理解がある”ことが決め手だった。
「3年間で住宅の基礎を学ばせてもらった」(伊藤氏)
あいホームに入社
25歳で父が経営するあいホームに入社する。伊藤ベニヤ商会は2000年から本格的に住宅事業に参入。次々と住宅FC加盟店をオープンさせ、社名は「株式会社あいホーム」に変更していた。入社した2009年には創業50年を迎えた。これからより一層加速していく時期だった。
徳島で経営修行のため弟子入り
元来ストイックな性格の伊藤氏は、「地方で工務店を経営していくのは、そんなに簡単なものではない」とここでもまた自らをピンチに追い込む。
今度は経営を実践で学ぼうと、徳島県の工務店の社長にいわゆるカバン持ちとして弟子入りした。
東日本大震災でネットの凄さを知る
家族の消息がつかめない
こうして徳島で経営修行をしていた矢先に起きたのが、東日本大震災だった。
2011年3月11日。徳島で地元の衝撃の映像を見た。家族や友人には当然、電話もメールも繋がらない。安否がつかめないまま、不安は高まるばかりだった。
将来のDXのイメージが生まれる
そこで唯一の手段がSNSのミクシィだった。あらゆるコミュニティに、宮城県の状況を聞きまくった。すると、やっと家族や友人の安否確認が取れたのだ。
電話もメールも遮断された中で、迅速にコミュニケーションが取れたのはミクシィだった。
「単純にネットってすごいなと。今思うとこの時に将来のDXのイメージができたのかもしれない。」(伊藤氏)
気丈な父親の後姿
あいホームはというと、幸いにも、社屋の倒壊といった被害はなかったものの各インフラが遮断されており、運営自体が難しい状況となっていた。
「常に前向きな父親のがっくりと肩を落とした後姿が印象的だった」(伊藤氏)
震災のピンチがDXのスタート
震災後受注が殺到
震災後の2011年4月に伊藤氏はあいホームに戻る。そのまま専務取締役に就任した。
家を失った人や引越しの住宅建設の需要高まりで、工務店への問い合わせは激増した。あいホームも本来の施工能力を超える受注を強いられた。
ここで発生したのは工務店どうしの“職人の奪い合い”だ。
工務店の非効率な現場に直面
2011年は、前年に比べて倍以上の売り上げがあった。ところが、受注が増加したからといって、簡単に人材が確保できるわけではない。変えられないリソースで、効率を上げるしかなかった。
伊藤氏が目にしたのは、劣悪な現場だった。無駄の多い管理体制。スケジュールは手書き。
あいホームのDXのスタート
「まず、スケジュール管理をエクセルにするところから始めた」(伊藤氏)
あいホームのDXのスタートだった。
あいホームでは、現在、忙しい時期と暇な時期を作らないように徹底的に施工のスケジュール管理を行っている。東日本大震災をきっかけに、約2年をかけて作りあげた平準化のしくみで年間200棟以上を安定的に建築する施工体制を構築できたのだ。
震災のピンチをDXのチャンスへと発想を転換した。当時、日本ではまだDXという言葉さえ普及していない時代だった。
ドラッカーの「顧客の創造」をDXで実現
伊藤氏は、あいホーム入社当時から、住宅産業のトップコンサルタント長井克之氏の「日本の住宅産業は顧客管理が極めて悪い」という言葉が心に刺さっていた。
どうしたら、住宅産業の顧客管理のレベルを上げられるのか。ドラッカーの「顧客創造」を工務店に置き換えて考えてみた。
「重要なのは顧客の口コミ。しかし、データがしっかりしていないと顧客を大切にできず、口コミも広まらない」(伊藤氏)
あいホームを大きく変えたのは、顧客管理システムの導入だ。
Salesforceと自社システムを組み合わせて顧客管理システムを構築した。顧客と最初の接点からIDを発行し、一つのIDで管理していくシステムに切り替えた。契約内容や図面データなども紐付けできる。引き渡し後、何年経過したかも一目瞭然。膨大な紙の顧客ファイルをひっくり返す必要が無くなった。
さらに、現在導入しているのは、LINEを活用したコミュニケーション。LINE WORKSのアンケート機能などを駆使し、顧客との密な関係性を構築した。
「スマートフォンの登場が顧客を変えた。今はカタログや手紙、訪問よりまずはスマホによるコミュニケーション。まず、スマホで『見やすい』、『扱いやすい』ということを優先している」(伊藤氏)
町の工務店や地域ビジネスの未来
「地方活性化」が社会の課題と叫ばれて久しい。多くの地方企業は人口の減少や少子高齢化に頭を抱えている。ましてや工務店など住宅に関わる事業者は、集客が難しくなっているのが現状だろう。ただでさえ、一人の顧客を獲得するのに苦労する時代。「だからこそDXが重要だ」と伊藤氏は訴える。
「DXこそ地方企業の生きる道だと思っている。業務の効率化でしっかり顧客と向き合い、売り上げに繋げるシステムを確立していくこと。私が書いた本は、工務店や地方企業に在籍する若い世代に向けて発信している。若い世代がDXを推進するリーダーとなってもらえれば」(伊藤氏)
事実、あいホームは社長の息子である伊藤氏が、27歳からDXに着手している。2019年度には、宮城県北部エリアで着工数1位となった。100人に満たない従業員数の工務店が、全国展開の大手ハウスメーカーらに勝った。“新しい力”こそ、地方ビジネスの活性化に必要なのだ。
【伊藤謙 プロフィール】
代表取締役 伊藤謙
1984年、宮城県生まれ。2020年5月に先代社長の実父より代表権を引き継ぎ、新社長に就任。工務店のIT・ネット活用を高速で実践し、コロナ禍で前年比130%増の新規受注を実現。「100億企業、創業100年企業」をビジョンに掲げる。最新のIT機器やシステムを積極活用し、固定概念を壊しながら、住宅業界のアップデートを推進している。
明治大学商学部卒業。桐蔭学園卒。一級FP技能士、宅地建物取引士、インテリアコーディネーター。古民家鑑定士。
【伊藤謙 著書】
『地域No.1工務店の圧倒的に実践する経営』~DXで生産性最大化、少数精鋭で高収益!~
著者:伊藤 謙 出版社:日本実業出版社
【伊藤謙のSTORYを作った本】
『プロフェッショナルの条件-いかに成果をあげ、成長するか』
著者:ピーター・F・ドラッカー(上田 惇生 訳) 出版社:ダイヤモンド社