2022.2.4

【前田大介 前田薬品工業】製薬会社がアロマの村を“デザイン”~いかにしてドン底からV字回復したのか?~  

和泉 俊史

ライター

前田大介 前田薬品工業

課題解決の“デザイン”  

デザインを通してビジネス、地域、社会全体の課題解決に取り組む人物にスポットを当て、 そのひとが何故、どういうきっかけで、どのようにして“デザイン”で課題を解決したのかに迫る本コーナー。 「デザインによる課題解決」に至った過程、悩み、模索し生まれたデザインとは? 編集者で、慶應義塾大学特別招聘教授の白井良邦が聞いた。  

前田薬品工業株式会社 代表取締役 前田大介 /  聞き手 白井良邦

数多くの製薬会社が本社を構える富山県にあって、ちょっと変わった面白い取り組みをしている企業があるという噂を耳にした。調べてみると、「22世紀に向けた新しい村づくり、人づくり」を掲げ、立山連峰を臨む水田の真ん中にハーブ園をつくり、建築家・隈研吾に依頼してレストランなどの施設を建設、近々宿泊施設もつくる計画だという。その企業が、前田薬品工業。1958年創業、社員数180名で、年商38億円:経常利益1.6億円をたたき出す、外用薬の製造・販売を中核とした製薬会社だ。一体、前田薬品工業の狙いはどこにあるのか。同社の代表取締役社長を務める前田大介氏にその考えを聞くため富山県を訪ねることにした。インタビュー場所に指定されたのは、JR富山駅から車で30分ほど走った立山町の田園地帯にある施設「ヘルジアン・ウッド(Healthian-wood)」。前田薬品工業の関連会社が運営するレストラン、アロマ工房、イベント広場を備えた、3.7ヘクタールもの広さがあるハーブ園だ。 

ハーブに救われて 

富山県の立山町にあるハーブ園「ヘルジアン・ウッド」で採れたハーブ。photo / Koutarou Washizaki

――このレストランやアロマ工房、イベント広場の建物は、建築家・隈研吾さんの設計なんですね。富山の田園風景に建築が上手く溶け込み、新しい風景をつくっていますね。 

前田 この「ヘルジアン・ウッド」は、2020年3月にオープンしました。コロナ禍でしたが、ご覧のように密にならない場所なので毎月1000人を超えるたくさんの方にいらしていただいています。 

――そもそも、どうしてハーブ園をつくろうと思ったんですか?  

前田 30歳代半ばに心労と過労で激しい頭痛に襲われ、一週間くらい寝込んだことがありました。その時、知人にアロマサロンへ連れて行ってもらったんですが、ハーブの香りに身も心もふっと軽くなり救われたんです。その時アロマの知識はゼロでしたが、調べてみるとハーブは薬の原点だと知り、これは製薬会社が手掛けるべきだと考えたんです。日本には製薬会社が約740社ありますが、自分たちでハーブを育てアロマオイルを抽出している会社は他にはありません。新たなチャレンジとしてやってみようと思ったんです。 

父の姿を見て経営者をめざす 

――心労と過労の原因は何だったんですか? 

前田 話すと長いんですが・・・(笑)。そもそも私が社長に就任したのは2014年、34歳の時でした。その前年2013年に前田薬品工業で医薬品の試験データ改ざんが発覚し、当時社長を務めていた私の父が引責辞任をしたんです。それで急遽3代目の社長に私が就任することになりました。元々、子供の頃は学校で歴史を教える先生になりたかったんですが・・・。実は二代目の社長である私の父親も元々は学習塾を経営していました。この会社の創業者である前田實は私の大伯父に当たりますが、この大伯父の体調が芳しくなく私の父が2代目社長になりました。私の苗字は元々「鈴木」だったんですが、高校三年生だった18歳の春、父が会社を継ぐことになり、鈴木から前田へ苗字が変わったんです。 

――多感な時期に、苗字が変わるというのは大きな変化でしたね。 

前田 そんななか父親を見ていたら経営というものに興味が湧いてきて、大学は商学部へ進み、卒業後は会計事務所に就職しました。私はいずれ経営者になりたいと考えていたので、出会うモノやコトを経営者目線で計るようにしていました。そこで見たもの感じたことが今の考えや経営にも活かされていると思います。業種にもよりますが、ワーケーションはオススメです。特にトップや幹部がオフィスにずっといるのをやめるべきだと思います。新しい環境に身を置き、異業種の人たちと関わることは、必ず仕事にも活かされますから。 

調印式前日に、データ改ざん発覚 

前田薬品工業代表取締役社長:前田大介氏。「ヘルジアン・ウッド」のレストランにて。photo / Koutarou Washizaki

――そして29歳の時、前田薬品工業へ入社されるんですね。 

前田 はい、2008年のことです。創業者のオーラが印象的で、後を継いだ父の苦労を見てきたことや、地元・富山が好きだったことが決め手でしたね。 

――しかし、その4年後には医薬品の安定性試験データの改ざんが発覚すると・・・ 

前田 忘れもしない2013年9月30日のことでした。当時私は専務でした。その日は前田薬品工業が大手医薬品メーカーから受託製造していた医薬品データの3年目の報告期日だったのですが、私が登用した品質保証部の女性部長が突然やってきて「データがどうもおかしい。過去に遡って確認した方がいい」って言うんです。それで調べてみると1年目・2年目の生データの部分が空白で・・・その前の年まで別の男性社員が部長をしていたのですが、データが手書きで改ざんされていることが発覚しました。実は翌日10月1日に前田薬品工業はある製薬会社の100%連結子会社になる予定で準備を進めていて、決済金はこの時点で振り込まれていて、後は翌日の調印式を待つばかりでした。その前日の夜7時に改ざんが発覚・・・といった具合です。 

正直に報告すると会社が倒産!? 

――それでどう対応したんですか? 

前田 報告すれば製品の回収義務が生じます。その費用は相当なものです。さらにそれだけではなく、1年目・2年目のデータを改ざん・報告していたということで損害賠償金も発生します。金額はざっと見積もり10億円。その当時この会社は年間1000万円の利益を出すのが精いっぱいで、蓄財は5億円でした。ですから10億円の損害賠償が発生した時点で会社が倒産します。正直に報告すれば会社は潰れる。隠し通すか、報告するか。正直、迷わなかったといえば嘘になります。しかし、正直に報告することに決めました。当時、私は京セラの稲盛さんの経営塾に通っていました。そこで“原理・原則に従え”人間として正しい判断を行う“ということを学び実践していたのですが、究極の局面になると、隠そうか・・・という気持ちにもなった。でもそれは違うだろうと。正直に報告し、社会の荒波にもまれる方を選ぼうと。で、そこから人生のどん底に落ちていくという・・・。 

――2014年5月に工場が11日間の操業停止の行政処分を受けるわけですね。改ざんの発覚(9月末)から処分(翌年5月)まで時間がかかっているのはなぜですか? 

前田 当時、前田薬品工業が製造していた薬品は330品目ありました。委託先の会社からも県からも他に改ざんしていないのか、ということになり、全製品の過去4年間にわたるデータを全て洗いざらいに調査するわけです。5か月間かかりました。それまでこの会社は残業ゼロのホワイト企業で社員は8時半に出社し17時には帰る感じで年間の残業代は数百万円と言う感じでした。それが徹夜の連続で残業代が5か月間で6000万円。今度は残業代で潰れるかと思いましたよ。 

銀行でたばこの煙を噴きかけられて・・・ 

前田薬品工業株式会社 代表取締役 前田大介
2013年に発覚したデータ改ざんへの当時の対応を語る、前田大介氏。photo / Koutarou Washizaki

――代表取締役社長に就任して早々、茨の道ですね。 

前田 取引のある会社は日本全国の製薬会社30数社、取引銀行は11行ありました。そこに毎日、毎日説明とお詫びに回るわけです。今でも忘れられないのは当時のメインバンクを訪問した時のことですね。応接室で担当者に無言のままふっーと、たばこの煙を噴きかけられました。その時の相手の表情、においは今も忘れられません。こんな経験があるから、今は多少のことでは動じなくなったと思います。 

――一度落とした信用を取り戻すのは並大抵の事ではありません。まずは信頼回復だと思いますが、それ以外に会社立て直しのために経営者として行った施策を教えてください。 

前田 まず手を付けたのは、不採算品目の整理、そして生産性のアップです。取り扱いを180品目から54品目にまで減らしました。具体的には、当時5億円の売り上げをもたらしていた飲み薬など内用剤をやめました。飲み薬の市場は大きいのですがライバルも多いからです。それなら市場は小さいけれども自分たちの得意分野で、かつ競争相手も少ない・投資額も少ない・やり直しが効く。そういう分野に集中するという戦略を取ろうと考えました。そこで、軟膏や貼り薬などの外用剤に特化したのです。私が就任した当初、外用薬の売上は15億円でしたが、現在は43億円と、約3倍になっています。利益は20倍、生産性でいうと約40倍になりました。ビジネスモデルとして断つものを決めた。新しい何をするか?ではなく、何を辞めるか?ということを考え早期に実行した結果です。 

人がどんどん辞めていく 

――人事面でも相当、苦労されたと聞きました。 

前田 はい、どんどん人が会社を去っていくので、社長室のノックの音が怖かったですね・・・。改ざんが発覚した後、当時いた社員の半分が辞めていきましたから。それからは取引先にお詫びと説明に回りながらも、200名を超える人を毎日のように面接しました。そもそも試験データ改ざんも起こるべくして起きたことでした。その原因のひとつは「過剰な受注」です。正しい在庫管理や価格交渉ができていないのに受注だけは増やし、大切な品質管理・品質保証より納期が優先されるような体制でした。 

――もう一つの原因は? 

前田 2つ目は「社内の風通しの悪さ」です。役職や部署の垣根を超えて間違ったことに対し物申せる雰囲気がなかったことが引き金になったのではと考えています。 

社員ひとりひとりと向き合う 

――それで社内体制をどのように変革したのですか? 

前田 まず年功序列を改めることにしました。この会社は当時完全な年功序列制で、上司=目上で物が言えない。だからデータ改ざんが起きた。そこを実力主義に変えたんです。実力主義=成果主義ではありません。成果主義はノルマを課し達成できた・できないでその人を判断します。ですが実力主義は違います。そこには社員として、あるいは上司としての“人格”や、仕事に対する取組み方“情熱”も加味されます。ある社員の提案で、各人の特性や評価をマトリックスにして可視化できるようにしたんです。 

――きちんとした人事評価制度を整備したんですね。 

前田 そうですね、それと同時進行で取り組んだのが残った社員約150人との1対1の面談です。私の父は職人気質で社内・社外とのコミュニケーションがあまり得意ではなかった。その点私は創業者や母親と似て外向的な性格でした。とにかく「会社の今後のビジョン」「あなたを信じているという」ことを相手に伝え、逆に相手の悩みや困っていることを聞きました。また直接は言いづらいこともあると思い、私に手紙を書いてもらい意見を聞くようにもしました。その面談で得たことを会社運営へ徐々に反映させていきました。それで段々と離職率を下げていった感じです。社員ひとりひとりに、自分は会社にとって大切な存在で主役なのだということを伝えた結果、社員は仕事にやりがいを感じてくれ、生産性も上がっていきました。 

――5項目の人事ポリシーも作ったそうですね。 

前田 はい。「仲間と協力する」「常に成長を心掛ける」「ハラスメントを許さない」「プロフェッショナルとして責任をもって仕事に取り組む」「法令を遵守する」という5項目の「人事ポリシー」という指針を作り、全社員で共有しました。また現在では、顧客だけではなく、社員に対する3つのミッションを掲げ会社の公式ホームページ上で公開しています。「1.安心・安定した生活の源泉(給料・賞与)を支払う」「2.社員一人ひとりの自己実現(自己成長)を支援する」「3.安心・安全な職場環境・労働環境を提供する」です。 

アロマの新規事業を立ち上げる 

前田薬品工業が培ったノウハウを元にリリースした天然国産アロマブランド<Taroma(タロマ)>photo / Koutarou Washizaki

――そしていよいよ3本目の矢、新規事業ですね。1本目の矢が品目の見直し=選択と集中で生産性を上げたことだとすると、2本目が人事制度の刷新と新体制の構築、そして3本目がアロマの事業への取り組みでしょうか。2017年にはオリジナルのアロマブランド<Taroma(タロマ)>を立ち上げるわけですね。 

前田 会社のドタバタからなんとか3年で経営を立て直しました。2015年(9月決算)は1.1億円の経常赤字から、2017年には1.1億円の黒字になりました。その最中、過労と心労で体調を崩した時にアロマに救われたので、ぜひアロマの抽出をしてみたいと。治療薬の研究と製造で培ったノウハウもありましたし、自然豊かな富山の大地もありました。それで自然の中に工房を作り、そこにある農園で採れたハーブからアロマを抽出するという。やりたいのは、ただそれだけでした。だから最初はレストランやスパなどをつくることは考えていなかったんです。それがアロマブランドの立ち上げから始まり、世界一美しい村をつくろう、22世紀に向けた新しい村づくり・人づくりへと、壮大な計画へと発展していったんです(笑)。 

ヘルジアンウッド ハーブ畑
「ヘルジアン・ウッド」では、富山の豊かな大地のもと、何種類ものハーブが育つ。

今回は、前田大介氏が30歳代半ばで訪れたピンチと挫折、そして、なんとか持ち前のコミュニケーション力で、問題を解決していった復活劇を中心にお話しを伺いました。 

次回は、いよいよ富山の自然豊かな場所に、理想郷を創ろうと奔走するお話しを伺いたいと思います。 

前田大介 白井良邦
取材を受ける前田大介氏(右)と、インタビュアーの白井良邦氏(左)。photo / Koutarou Washizaki

第2回に続く) 

【前田大介 プロフィール】 

前田薬品工業株式会社  代表取締役 

1979年富山県生まれ。前田薬品工業3代目の代表取締役社長。前田薬品工業は1958年に創業。 現在ではジェネリック医薬品の外用剤では売上高国内トップ5に入る。また、塗り薬の技術を生かしたスキンケア化粧品の開発も手掛け、オリジナルのアロマ製品の開発・販売も行っている。2013年に発覚した試験データ改ざんにより、父親である2代目社長の引責辞任を受け社長に就任。わずか3年で会社を立て直す。2020年3月には富山県立山町にハーブの抽出工房やレストランを備えた「ヘルジアン・ウッド(Healthian-wood)」をオープンさせ、世界一美しい村づくりを目指す。趣味は、秘湯巡り、旅、日本酒&日本ワインの買い付け。関連会社:株式会社GEN風景の代表取締役なども務める。 

【聞き手 白井良邦 プロフィール】 

編集者/慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授 

1993年(株)マガジンハウス入社。雑誌「POPEYE」「BRUTUS」編集部を経て、「CasaBRUTUS」には1998年の創刊準備から関わる。 2007年~2016年CasaBRUTUS副編集長。建築、現代美術を中心に担当、「安藤忠雄特集」、書籍「杉本博司の空間感」、 連載「櫻井翔のケンチクを学ぶ旅」などを手掛ける。2017年より「せとうちホールディングス」執行役員 兼 「せとうちクリエイティブ&トラベル」代表取締役を務め、 客船guntu(ガンツウ)など、瀬戸内海での富裕層向け観光事業に携わる。2020年夏、編集コンサルティング会社(株)アプリコ・インターナショナル設立。 出版の垣根を越え、様々な物事を“編集”する事業を行う。著書に「世界のビックリ建築を追え」(扶桑社)など。 

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