2022.12.1

【高嶋香帆】志村けんさんに学んだ「妥協しない仕事術」とコロナ禍で生まれた「自由に取り組む仕事術」

StoryNews編集部

高嶋香帆

高嶋香帆 女優

現在、役者・タレントとして活動している高嶋香帆さん。18歳の頃から芸能活動をスタートさせ、これまでに『慰謝料弁護士〜あなたの涙、お金に変えましょう〜』や『ナポレオンの村』といったドラマに出演したほか、『志村けんのバカ殿様』や『志村の時間』、『志村けんのだいじょうぶだぁ』といった志村けんさんの番組に出演してきました。

2022年10月3日から放映されているSplashtopのタクシー広告にも出演しています。芸能界デビューしてから11年。「コロナ禍をきっかけに、活動の仕方が変わった」という高嶋さん。改めてデビューのきっかけから、現在に至るまでの経緯、そして今後のことについて話を聞きました。

同じクラスの子の影響で芸能界を志す

──芸能界で働くことになったきっかけを教えてください。

芸能界で働くことに興味を持ったのは、高校2年生の頃です。同じクラスに芸能界を目指している子がいて。その子の影響をすごく受けました。それこそ、同じダンスとボーカルのスクールに通うくらいでした(笑)。そこから、将来的には芸能界で働くこともできたらいいな、とは思っていました。両親も私の目標を応援してくれていて。「芸能界で働きたい」という思いを伝えたら、「できるところまでやってみればいいんじゃない」と言ってくれたこともあり、本格的に芸能界を目指してみようと思いました。

その後、芸能界で働くことになったのは、家族が新聞を読んでいたときに見つけた事務所のオーディションに応募したのがきっかけです。そのオーディションで最終選考まで残ることができ、芸能界に入ることができました。

その翌年には、日テレジェニック2011のオーディションにも受かり、そこから大阪と東京を行き来するかたちで芸能活動をしていました。家族には今も芸能活動を応援してもらっていて、すごくありがたいなと思っています。

──デビューから今までを振り返ってみて、手応えはいかがですか。

何となくの憧れで芸能界に入ってしまった部分もあり、最初に思い描いていた通りの活躍ができているかと言えば、そうとは言い切れません。ただ、それでも自分が昔からやってみたいと思っていた仕事、例えば父親と小学生の頃から一緒に見ていた『志村けんのバカ殿様』への出演は子どもの頃からの夢でもあったので、それを叶えられた。その仕事を経験できただけでも、芸能界に入る道を選んでよかったなと思います。

志村けんさんと共演、妥協のない仕事の姿勢を学ぶ

photo / Shunichi Oda

──志村けんさんとの共演が、高嶋さんの芸能生活のターニングポイントになった?

私の人生の中でも、すごく大きな出来事だったと思います。日テレジェニックとして参加した特別番組の収録で初めて志村けんさんを見たのですが、そのときは「志村さんって現実に存在していたんだ」と思いました。夢の世界にいた志村さんに実際に会えた感動は今でも忘れられないですね。

その経験を経て、夢は叶うんだなと思いました。もちろん、まだ叶っていない夢もたくさんありますけど、その成功体験があるからこそ、今後やってみたいことはきちんと発言したり、思い続けたりしていかなければいけないなと感じています。

──志村けんさんとの共演で何か学んだことはありますか?

志村さんの仕事に対する姿勢には、学ばせてもらうことばかりでした。まず台本や構成を全部自分で考えられているのもすごいなと思ったのですが、それだけでなく何十年もやってきたコントのクオリティを下げることなく、新しい要素を取り入れて“笑い”を提供しようとしている。仕事に一切の妥協をせず、常にモチベーション高く取り組み続ける。“芸能界のレジェンド”とも言える人が、そういう姿勢で仕事に取り組み続けているのだから、自分が手を抜いていいわけがない。もっと頑張らなければ、と思いました。

コロナ禍で生まれた「自由にやりたいこと」に取り組む意識

photo / Shunichi Oda

──2020年以降、コロナ禍で役者・タレント業にも変化があったと思います。

当時は社会の流れに身を任せるしかない、という状況でした。仕事というよりは家族や大切な人の命を守るために行動していかなければいけないな、という気持ちが強かったですね。

──そのタイミングで今後の活動についても考えたのでしょうか?

2021年3月に以前の事務所を退所させていただき現在の形で活動しているのですが、コロナ禍で仕事への取り組み方も変わったなと思います。もちろん、前の事務所でもすごく良い仕事をたくさんやらせてもらって感謝しかないのですが、コロナ禍で「人生、いつ何があるか分からない」と思うようになって。そこから「私がやりたいと思ったことを、もう少し自由に取り組める環境で仕事をしたほうが、後悔がないのではないか」と考え、活動するようになりました。

──2022年10月3日からSplashtopのタクシー広告にも出演しています。タクシー広告に出演し、何か反響はありましたか?

過去に一緒に仕事をした人から「がんばっているね」という連絡をいただきました。それこそ、日テレジェニックのときに仕事でお世話になったドランクドラゴンの塚地さんから「高嶋、がんばってるな」と数年ぶりに連絡をもらったんです。そういった言葉は活動の励みになるので、すごくうれしかったですね。

──高嶋さんの目には、Splashtopはどのようなサービスに見えましたか?

Splashtopがあることで、今まで出社しなければできなかった仕事も場所にとらわれることなく働けるようになる。何かの理由があって家で働かなければならない人たちにすごく寄り添ってくれるサービスだなと思います。私の姉家族や妹家族で、子どもがコロナに感染してしまい、親が濃厚接触者の疑いで1カ月ほど仕事に行けないということもあったのですが、そのときにSplashtopのサービスがあれば働けていたのではないかなと思います。

“親友”という別人格で自分を褒めて、新たな活動にチャレンジ

photo / Shunichi Oda

──デビューした11年前と比べると、SNSが台頭したと思います。SNSによって、高嶋さんの活動にも何か変化がありましたか?

そうですね。それこそ、コロナ禍でYouTubeチャンネルを開設するなど私自身もSNSを使った活動が増えているなと思います。また、ここ数年のオーディションではフォロワー数などの数字も見られるようになったと感じているところです。定期的にきちんと情報を発信していかなければいけないと思いますし、そうした発信から新しい仕事につながっていくこともあるので、私にとってSNSは大事なものだと思っています。

──会員制ファンコミュニティプラットフォーム「Fanicon(ファニコン)」でファンコミュニティ「たかしまさん家」を開設しています。

「たかしまさん家」は前の事務所を退所してから、始めました。会員制ファンコミュニティに取り組んでみて、すごくよかったなと思っています。SNSは偶然アカウントを見て「かわいいな」と思ってくれた人がとりあえずフォローしておくというイメージなのですが、Faniconは月額費がかかることもあり、しっかり応援してくれるファンたちが集える場所というイメージです。ずっと応援してくれているファンが目に見えるので、私の活動の励みにもなっています。Faniconにはグループチャットの機能があって、そこでファンの人と毎日会話をしているのでファンというか、家族に近い存在かなと思っています。

──最近読んだ本で、特に感銘した本はありますか?

最近は、クルベウさんのエッセイ『大丈夫じゃないのに大丈夫なフリをした』を読んで感銘を受けました。人生観や恋愛、仕事などいろいろなことが書かれていて、すごく良かったです。このエッセイを読んで、自分が良かったと思う言葉をスクリーンショットして、自分のモチベーションを上げるためにスマートフォンのやることリストに貼っています。

──ちなみに、高嶋さんはどんな時に自分を褒めますか?

毎日の生活の中で、仕事や将来のことを考えて落ち込んでしまうときもありますが、そういうときは自分の中に別人格を持って、ポジティブに考えるようにしています。それは勝間和代さんのYouTubeチャンネルを見て学びました。自分の中に“親友”という別人格を持っておき、常に褒めるようにすると変に落ち込まないという話を聞いて、それを実践するようにしています。また、俯瞰することで自分の現状を把握しやすいのかなと思います。

──最後に今後、取り組みたいことを教えてください。

30歳になり、母親の役など演じる役の幅が広がってきているなと感じているので、引き出しを増やすという意味でも、今後いろんな役に挑戦していけたらと思っています。

photo / Shunichi Oda

[高嶋香帆 たかしま・かほ] プロフィール

1992年1月20日生まれ 女優、大阪府出身

「日テレジェニック2011」に選ばれる。世界で活躍するアーティストたちがつくるAR
フィルターを使って自分自身がアートになる「IPSA AQUA play ART」にモデル出演。「はまちゃんが!」「志村けんのバカ殿さま」等のテレビ出演、MINTIA、DHCホットボディジェル等のCM出演。
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高嶋香帆さん出演のタクシーCMとフルバージョン映像

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