【串田和美】劇場で描く“夢みたい”なもの、演劇に見た“夢みたい”なこと
串田 和美(くしだ・かずよし)俳優・演出家・舞台美術家
串田和美が、2022年5月から独り芝居「月夜のファウスト」の全国公演を開始する。串田は、舞台芸術における第一線の活躍を続けてきた俳優であり演出家。華々しい受賞歴を持ち、演劇界の重鎮とも言える存在だ。現在は、まつもと市民芸術館総監督で、その前は東急Bunkamuraシアターコクーン初代芸術監督を勤めた。しかし、さらにキャリアを遡ると、串田は六本木通りの硝子屋の地下に作った、小さな劇場にいた。そこを拠点に活動したのが、オンシアター自由劇場。串田が率いて吉田日出子が唄い、1979年初演の舞台『上海バンスキング』を大ヒットさせた劇団だ。
「いい夢を見させてもらいました」
「戦争の方が夢だったら良かったのにね」
「戦争も夢みたいなものです」
(オンシアター自由劇場『上海バンスキング』脚本:齋藤憐)
初演から40余年、最後の再演から12年。世界の平和が揺らぐ今、この台詞を糸口に、あらためて『上海バンスキング』を振り返る。かつてオンシアター自由劇場だった空間で、串田に話を聞いた。
地下の小さな劇場に育てられた
──客席数100くらいの空間に、超満員のお客さんがきたそうですね。
串田:
今なら消防法で怒られてしまうくらい、すし詰め状態でね。ステージのヘリには、最前列のお客さんの荷物がのっかってしまうから、僕らはそれを足で押し出しながら幕を閉じたりしていた。
──『上海バンスキング』は、日中戦争がはじまる1年前に上海に渡ったクラリネット奏者の四郎(串田)と、まどか(吉田日出子)、そしてジャズマンたちの物語です。戦前のジャズを、俳優の皆さんが生演奏したことも話題になりました。
串田:
楽器をろくに触ったことのない俳優たちで、劇中のジャズを演奏したんだよね。楽譜にカタカナで「ドンドン・パ」って書き込んでいたくらい(笑)。
──ステージは幅7m程度だったそうですね。
串田:
ものすごく小さなステージに、部屋を作りテーブルや蓄音機、ピアノをおいた。劇中では、部屋を一瞬のうちに、ジャズクラブに変えないといけないのに、捌け口は1か所しかない。物を運び出すのに渋滞が起きてしまうから、色々な工夫をしました。たとえば大きな丸い柱を作り、中にドラマーの役者ごとドラムキットを押し込んだ。柱を回転させると登場する(笑)。あの奥には、2階へつづく階段も作ったな。
──当時は上の階があったのですか?
串田:
ないんだよ(笑)。役者は、セットの階段をのぼるとすぐ天井にぶつかる。そこで上半身だけをかがめて、あたかも上の階に消えたようにみせていた。他にも、窓の外はすぐに壁だったけれど、遠くを眺めて見せるために壁の前に立ち、遠くを見る練習をしたり。おかしいよね。でも、そういう悪条件の中で、当たり前に工夫をするクセがついた。この劇場の不便さに、僕は育ててもらったと思っています。
誰も望まないが、時代に押し流される
──劇中では、出兵する旧友にリクエストされ、ヒロインのまどか(吉田日出子)が唄います。旧友は「いい夢を見させてもらいました」とお礼をいい、「戦争も夢みたいなものです」と去っていきます。今ふたたび、向き合いたくなる台詞です。
串田:
斎藤憐さんが書いた台詞を、当時の僕らも「どういうことかな」と考えながら作りました。
でも時間が経つと、社会が変わり自分も変わる。すると、同じ言葉でも感じ方が変わってくるんですよね。たとえば僕は3月にシェイクスピア劇をやりました。400年以上前に書かれた翻訳劇なのに、まさに今が描かれていると感じられる瞬間がいくつも出てきた。つまり演劇って、書いた人だけでなく、それを読んだ人や時間が経ってから思い出した人たちのものなんだなと思った。
「戦争も夢みたいなもの」という台詞が書かれた時と今では、進歩したのか退化したのか。世の中はずいぶん変わりました。「夢じゃないかな」「こんなはずないよね」っていう感覚は、結構多くの人が持っていると思う。
串田:
今は、コロナ禍もウクライナで起きている戦争も、人間のことなのに人間がついていけていないし、ついていきたくない。でも、ついていかなきゃオシマイだという感覚が混ざる。
戦争を良いと思っている人なんかいないでしょう。ロシアの人たちも、きっと良いとは思っていない。でも大きなうねりに押し流されるように、こうなった。人間は「あの人が悪い。悪い人をやっつければ、平和に戻る」と考えたがるところがあるけれど、きっとそんな単純なことではありません。1人やっつけた後は次の誰かやってきて、その役割を担うだけ。
そんな今、あの台詞を思い出すと、誰も望んでいない戦いに誰もが何かしらの形で巻き込まれている。嘘みたいな、夢みたいなこと。美しい夢ではなく、捉えきれないものとしての夢。戦争も夢みたいなものなのだろう……と思います。
──時代に押し流されていく感覚は、『上海バンスキング』からも感じられます。
串田:
上海という街そのものが、ものすごい変化をしていますね。憐と僕が初めて上海に行った1983年は、まだ皆が国民服を着ている時代でした。
でも第二次世界大戦前の上海は、半植民地でフランスの文化なども入り、独自の繁栄をしていた地域だった。劇中では“アダ花なんだよ。偽者のうつくしさだよ”っていう台詞もある。でも、2度目に訪れた時にはもっと発展し、どんどん変化をしていた。六本木顔負けで、今の方がよほどアダ花じゃないか?なんて思いました。
それは、東京にも言えること。社会の変化のスピードが加速している気がします。少し前は「六本木にあれができた」「表参道にこれができた」と新しく何かができるたびに話題になり、皆が喜んで押しかけていた。今は、追いかける暇もない。この変化、誰か喜んでる? って思ってしまう。でも、誰にも止められない。
2010年のバンスキング
──人気を博した『上海バンスキング』は、初演以来15年にわたり上演されつづけました。しかし1994年、惜しまれる中、435回で終止符を打ちます。
串田:
とても評判が良く、お客さんも入る中で「もうやらない」と封印しました。「なぜやめるの?」とたくさんの方から言われ、自分でも「なぜかな?」と思った。半分は「もういい」と思ったから。もう半分は立ち止まる必要があると思ったんだろうな。「今やめないと、どんどん違うものに変わっていってしまう」と感じた。
──演じ手と受け手、どちらの変化だったのでしょうか。
串田:
責める意味は少しもないけれど、受け手だと思います。初演の頃は数人しかお客さんが入らない日もあった公演が、ありがたいことに話題となり、再演のたびに満員。博品館劇場でもやるようになり、全国でも公演をした。次第に演劇と言うより現象として、お客さんがくるようになった。客席は「役者が古いジャズをやるらしい」「楽しくてカッコいいお芝居らしい」と、開演前からすごい熱気で、終わってからの盛り上がりもすごい。
でも……、そんな風に祝福される物語ではないんだよね。
ちょっと良いところのお嬢さんが、ジャズマンの四郎にハネムーンだと騙されて、上海へ連れて行かれる。それでもアダ花と呼ばれた上海で、一緒に楽しい夢をみた。戦争が始まり、終わり、仲間はかえってこず、四郎は阿片中毒になる。日本人が一時的に手に入れたものは、すべて中国の人の手に戻り、まどかさんが一人でぽつんと立っている。夢からさめた夢のような……そういう物語だから。
──ブームに押し流される前に、封印することで物語を守られたのですね。その作品が、2010年、オリジナルメンバーによりBunkamuraシアターコクーンで再演されました。
串田:
まどか役の日出子さんが、体調の理由から「もうできなくなっちゃう」となったんです(※吉田日出子さんは、高次脳機能障害を公表。『私の記憶が消えないうちに デコ 最後の上海バンスキング』という本も出版)。でも「今ならまだできる。もう1回だけやっておこう」と集まったのが2010年でした。
串田:
リハーサルで集まった時は、不思議な感覚でした。それぞれが楽器を手に『ウェルカム上海』を吹き出したら、嘘だろ?ってくらい上手く合った。うれしくて、泣くまい泣くまいと思いながら吹いていた。
そこへ、少し遅れて吉田日出子さんが入ってきた。カッコいいんだよ……上着を脱ぎながらマイクの前に立って唄い出したら、ブランクなんてなかったみたいに完ぺきだった。日出子さんの体調を心配もしていたから、嬉しくて。奇跡が起きたような感じ。皆で泣きながら、それこそ夢の中にいるようでした。
──2010年の再演では、オンシアター自由劇場時代を知るファンだけでなく、新たなファンの心も掴みました。
串田:
もし再演するなら、当時をまったく知らない若い俳優だけで。そんな発想はあるんです。その時は、立派な劇場ではなくて、自分の原点のやっぱりここのような空間がいい。ミュージシャンでもなく、楽譜もろくに読めない僕たちが、かつて小さな地下劇場でやったような『上海バンスキング』を、当時を知らない新しい世代の人たちと、工夫したり、楽器を練習したりしながら。そんな作品を、今なら作れる気がします。
(第2回に続く)
【串田 和美(くしだ・かずよし)のプロフィール】
俳優・演出家・舞台美術家。まつもと市民芸術館総監督。
1966年、劇団・自由劇場(後にオンシアター自由劇場と改名)を結成。1985〜96年までBunkamuraシアターコクーン初代芸術監督を務め、コクーン歌舞伎やレパートリーシステムの導入で劇場運営の礎を築く。代表作に『上海バンスキング』『もっと泣いてよフラッパー』『夏祭浪花鑑』など。歌舞伎俳優の中村勘三郎と取り組んだ平成中村座での、歌舞伎演出も多数。2003年4月より、まつもと市民芸術館芸術監督に就任(現・総監督)。信州・まつもと大歌舞伎や、サーカスと音楽と演劇による『空中キャバレー』など市民を巻き込んだイベントで“街に溶け込む演劇” を根付かせてきた。2006年芸術選奨文部科学大臣賞、2007年第14回読売演劇大賞最優秀演出賞受賞。2008年紫綬褒章、2013年旭日小綬章を受章。2015年、ルーマニア・シビウ国際演劇祭でシビウ・ ウォーク・ オブ・ フェイムを受賞。
参考図書:
筑摩書房「幕があがる」串田和美
愛育社「わたしの上海バンスキング」明緒
【公演スケジュール】
独り芝居「月夜のファウスト」 2022ツアースケジュール
作・演出・出演 串田和美
【5月】
15日(日) 大野城まどかぴあ 小ホール (福岡県大野城市) 14:00開演
18日(水) うきは市野外円形劇場 (福岡県うきは市) 18:30開演※野外劇
20日(金) クリエイティブ・スペース赤れんが 外庭 (山口県山口市) 18:15開演※野外劇
22日(日) 文化フォーラム春日井 視聴覚ホール (愛知県春日井市) 14:00開演
24日(火) 富士市文化会館ロゼシアター 小ホール (静岡県富士市) 19:00開演
26日(木) 長久手市文化の家 (愛知県長久手市) 19:00開演
29日(日) あさひサンライズホール (北海道士別市) 14:00開演
31日(火) 扇谷記念スタジオ・シアターZOO (北海道札幌市) 19:00開演
【6月】
1日(水) 扇谷記念スタジオ・シアターZOO (北海道札幌市) 14:00/19:00開演
3日(金) 滝川市民交流プラザ (北海道滝川市) 18:30開演
5日(日) 富良野演劇工場 (北海道富良野市) 14:00開演
9日(木) ノバホール 小ホール (茨城県つくば市) 19:00開演