【佐藤卓】デザインを経営に生かせる企業になるには?
佐藤卓 グラフィックデザイナー / 聞き手 白井良邦
課題解決の“デザイン”
デザインを通してビジネス、地域、社会全体の課題解決に取り組む人物にスポットを当て、
そのひとが何故、どういうきっかけで、どのようにして“デザイン”で課題を解決したのかに迫る本コーナー。
「デザインによる課題解決」に至った過程、悩み、模索し生まれたデザインとは?
編集者で、慶應義塾大学特別招聘教授の白井良邦が聞いた。
グラフィックデザイナー佐藤卓の活動は多岐にわたる。前編では、「ニッカ ピュアモルト」「ロッテ キシリトールガム」「明治おいしい牛乳」など、今まで手掛けてきた具体的な仕事を例に、これから先に起こることを予測し、その解決のために実行する=「気遣い」こそデザインであるという話を聞いた。ではその問題解決を導く、彼のデザイン的思考はどうやって養われてきたのか。学生時代やその後就職した広告代理店での経験談など、若き時代の体験を踏まえながら聞いてみた。
新人研修でハチャメチャをした!?
――佐藤卓さんは、東京藝大の大学院を卒業されて、すぐ電通に入社されています。その時の新人研修でハチャメチャをやったせいで、お灸を据えられる形で名アートディレクターとして知られる鈴木八朗さん(旧国鉄のディスカバー・ジャパンのキャンペーンなどで知られる)の元で仕事をすることになったというというエピソードを聞いたことがあります。私の印象として佐藤さんはそういう暴れるようなタイプには思えず・・・一体、どんなことを仕出かしてしまったのか、とても気になっています。
佐藤 僕は大学時代のことを今でも良く覚えているんですけれど、このまま行ったらつまらない人間になるな、と思っていたんですね。ロックのバンドを一緒にやっていた友人やパンク・ニューウェーブなどの音楽の影響もあったんですが、自分の固定した考えとかスタイルを壊せないか、と常に考えていたんです。自分の持っている矢印とは別の、反対方向の矢印を常に持っていたいと。固定概念を壊す、別のベクトルの力を意識していたんです。
――そういった考え方が、新人研修中の行動につながると・・・
佐藤 就職して新人研修が始まると、会社からノートを渡されたんですね。そのノートに研修中に学んだことを書いて毎日会社に提出するんです。最初は真面目に書いていたんですけれど、社会人にもなって、あれも勉強になった、これも勉強になった、と書くことに何の意味があるんだろう、と思い始めて・・・・段々、退屈するようにもなっていったんです。そのオリジナル・ノートには罫が入っていたんですが、ある日、その罫を無視して斜めに文章を書いて提出したんですね。左下から右上に向かって。でも翌日、いつも通り総務からハンコが押されて戻ってきたんです。お、会社も認めてくれたのか、いい会社だな、なんて思って(笑)。その後はエスカレートして、ページを破ったり写真を貼ったり、コラージュしたりと、そのノートがすごいことになっていったんです。それでも毎日ハンコが押されて戻ってきた。生意気にも太っ腹ないい会社だな、なんて思っていました。でも後で知ったことなんですが、総務にいた同期の女子が誰もハンコを押さない僕のことをかわいそうに思って承認印を押してくれてたそうなんです(笑)。だから、会社は全く認めていなかった。むしろ会社は、なんだコイツは、お灸を据えなければいけないということで、一匹狼で厳しい、鈴木八朗さんの元に配属しようということになったそうなんです。
電通を3年で辞めて独立
――新人で、名アートディレクターの元で働けるというのは、ある意味、幸運なことでもありますよね。
佐藤 イタズラが功を奏したといいますか・・・・(笑)。今でも、決まったことに素直に従う側面と、反発する面と、常に両方あると思います。
――「ニッカ ピュアモルト」や「ロッテ キシリトールガム」の仕事を拝見すると、自分のうちなる固定概念を壊すという佐藤卓さんの考え方、逆ベクトルの矢印が、デザインを生み出す過程で活かされている気がします。そんななか、電通は3年で辞めてしまいますよね。これからというときに、なぜ独立したのでしょうか。
佐藤 実は就職が決まった時点で、長くて5年、短くて3年で辞めようと決めていました。最低でも3年はいないと何も身に付かず意味がないと思いましたが、長く会社にいても居心地が良くなってしまうので良くないなと個人的に考えていました。絵を描いたりするのは好きだったんですが、広告志望ではなかったんです。学生時代やっていた音楽活動にも未練がありました。パーカッションを演奏するプロのミュージシャンになりたいなんて思っていましたし。また、作品作りをするアーティストにも憧れがありました。
「やるべきこと」が「やりたいことに」
――佐藤さんは、自分らしさ、自分のスタイルみたいなものは、さほど重要ではない、というようなことをおっしゃっていますが、若い頃は自分のスタイルを持ちたいと思っていたわけですか。
佐藤 若い頃は格闘がありました。例えば昼間は会社で広告の仕事で鍛えられ、家に帰ってきてから自分の作品をつくるといった感じです。若い頃は何でも自分中心で、自分のことしか考えられないから仕方ないですよね。でも仕事を続けていくうちに思ったんです。僕たちは誰でも個性を持っているのだから、心配しなくても個性は出る。むしろ、どうしたって出てしまうもの。スタイルはつくろうと思ってつくるものではなく自然とでてしまうものだと。「ニッカ ピュアモルト」の仕事はまさにそれを実感し、デザインをするということはこういうものか、と手応えを感じました。「やりたいことをやる」のが仕事ではなく、「やるべきことをやる」。それが習慣になってくると「やるべきこと」が「やりたいことに」になってくる。自分の作品を作っているより、デザインすることが世のため人のためになる。そこに魅力を感じてしまったんです。
「デザインマインド」を経営に生かす
――良い商品やサービスを生むためにはデザイナーの存在も大切ですが、それを提供する企業側にも、デザインに理解のあるキーパーソンが不可欠だと思います。その点、どう思われますか。
佐藤 これまでに携わった商品ブランディングの仕事で、ロングセラーとして定着している商品誕生には、必ずクライアント側に「デザインマインド」をお持ちのキーパーソンがいました。デザインマインドとは、「アイデアを言語化し、具現化する」というデザインの役割を理解する思考とも言えます。もっとかみ砕いていうと、デザインの大切さを理解しているということでしょうか。そういったデザインマインドをお持ちの方が社内の考えを調整してくれ、アイデアを実現に導いていくのです。経営者が豊かなデザインマインドを持っていれば理想的ですが、必ずしも経営者本人が兼ね備えていなくてもいいと思います。責任ある立場に、チーフ・デザイン・オフィサー(CDO)を置けば、重要な判断にデザインの力を活用することができます。逆に、デザイン部門を商品開発の最下流に置いていては経営には生かせないと思います。
デザインって「面白い」と思えるか
――現場担当者はデザインマインドを持っているのに、上司であるプロジェクト決定権者にデザインマインドが欠けているというケースは多々あると思います。現場はそれに苦しんでいると言った場合、経営者や上司にデザインマインドを植え付けるような方法や解決策はあるのでしょうか。
佐藤 いやいや、それは難しい・・・これ、という方法はないですね。なぜならひとつひとつ企業の環境や風土、担当者の価値観などが違いますから。私が意識して取り組んでいることをお話しすれば、皆デザインのことはわからないという前提に立って、誰もがわかる言葉で自分の考え方を説明するように心がけています。①自分が提案しているデザインはなぜこうなのか言語化する。②競合他社製品のデザインを分析しそれを言語化する。③その2つのデザインの違いを言語化する。こういった具合です。それで、「なるほど」「そういうことなんだ」と言って、デザインって面白いなあ、と感じてくれる人はデザインマインドがあると思います。面白いって思ってもらえたってことは前向きだってことですよね、すると次から話を聞いてもらえるようになります。たくさん質問もしてくれます。そこから会話が生まれ、どんどんプロジェクトが発展していきます。ですから、デザインって面白いと思ってもらえるよう丁寧に考え方を説明することが重要なのだと思います。そういったコミュニケーションを大切にしたいなと思っています。
【佐藤卓 プロフィール】
グラフィックデザイナー。
1955年東京生まれ。1979年東京芸術大学デザイン科卒業、1981年同大学院修了、株式会社電通を経て、1984年佐藤卓デザイン事務所設立(2018年4月に株式会社TSDOに社名変更)。以後、グラフィックデザインを中心に商品開発、パッケージデザイン、プロダクトデザイン等、幅広い領域で活動する。主な仕事として「ニッカ ピュアモルト」、「明治おいしい牛乳」等の商品デザイン、NHK Eテレ「にほんごであそぼ」アートディレクター、「デザインあ」総合指導、東京・六本木にある<21_21DESIGN SIGHT>館長、日本グラフィックデザイン協会会長も務める。著書に「クジラは潮を吹いていた。」(DNPアートコミュニケーションズ)、「塑する思考」(新潮社)、「大量生産品のデザイン論-経済と文化を分けない思考-」(PHP新書)など。
【聞き手 白井良邦 プロフィール】
編集者/慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授
1993年(株)マガジンハウス入社。雑誌「POPEYE」「BRUTUS」編集部を経て、「CasaBRUTUS」には1998年の創刊準備から関わる。
2007年~2016年CasaBRUTUS副編集長。建築、現代美術を中心に担当、「安藤忠雄特集」、書籍「杉本博司の空間感」、 連載「櫻井翔のケンチクを学ぶ旅」などを手掛ける。2017年より「せとうちホールディングス」執行役員 兼 「せとうちクリエイティブ&トラベル」代表取締役を務め、 客船guntu(ガンツウ)など、瀬戸内海での富裕層向け観光事業に携わる。2020年夏、編集コンサルティング会社(株)アプリコ・インターナショナル設立。
出版の垣根を越え、様々な物事を“編集”する事業を行う。著書に「世界のビックリ建築を追え」(扶桑社)など。