【吉永隆之】神戸市役所を辞めてふたたび民間へ 自治体の「調達改革」に一石
一般社団法人アーバン・イノベーション・ジャパン 代表理事 吉永隆之
霞が関の中央省庁では若手キャリア職員の離職が話題となっているが、逆に民間企業から行政機関に転職する動きも5年ほど前から拡大してきた。
自治体がスタートアップ支援やDX化を進めるには、民間企業でその分野での経験を積んできた人の助力を得るのが手っ取り早い。ただ、ほとんどの場合は任期付きの職員として採用なので、その任期は3‐5年ほど。
そのあと彼らは何をしているのかは、これまであまり紹介されてこなかった。むしろ、まだ数が少ないので、メディアに取り上げられる機会がなかったと言ったほうが正しいのかもしれない。そこで今回、民間から福島県浪江町(なみえまち)での勤務を経て神戸市役所に転職し、そのあと独立、起業した一人の男性を追跡した。
神戸市が「優秀な民間IT人材」の採用で吉永に白羽の矢
神奈川県藤沢市出身という吉永隆之(42歳)は、慶応義塾大学を卒業したあと大手IT企業でシステム開発に携わっていた。公務員としてはじめての仕事は、2014年から復興庁の職員としての福島県浪江町でのものだった。同町は、福島第一原発の事故で全ての住民が避難を余儀なくされた。そんななかで、バラバラになってしまった住民どうしのつながりを、ウェブとタブレット機器で維持していこうというプロジェクトがあって、その責任者として起用された。
浪江町での任期の終わりに近づいた2015年12月。これまで全くつながりすらなかった神戸市役所が吉永に白羽の矢を立てたのだ。
「東京駅前の新丸ビルに誘われたのでただの飲み会だと思い、神戸市の職員の方と楽しく夕食をとっていました。ところが、それが事実上の最終面接だったのだと、後から教えてもらいました。そのあとは4月の採用に向けた手続きが進んでいきました」
と振り返る。というのは、神戸市は、優秀な民間IT人材を是が非でも迎えたい理由を持っていた。
神戸市を「スタートアップの街」にした立役者
神戸市は2015年、全国の自治体に先駆けてスタートアップの育成事業に取り組んでいくと宣言した。それを具体化させていくために、翌年から米国シリコンバレーのベンチャーキャピタル(VC)「500 Startups」(現在の500 Global)と起業家育成の共同事業を計画した。
実は500 Startupsと最終合意に至ったのは、吉永と会う1週間前のことだった。スタートアップの育成事業には、IT知識やノウハウを持ちながらさまざまな関係者をマネジメントができる人材を欲していた。吉永の経歴を見て、彼であれば翌年から行う起業家育成事業の責任者を任せられると信じていたのだ。
吉永は、神戸市の期待にこたえた。2016年から4年の間、世界的にも珍しかった自治体とシリコンバレーのVCとの共同事業を成功させた。神戸市が「スタートアップの街」と呼ばれるようになった立役者の一人といっても過言ではない。
自治体の「調達方法」に感じた課題
そんな彼が、浪江町に勤務していたときから自治体の業務のなかで問題に思っていたことが一つあった。それは、「ITシステムの調達方法」だ。
行政がITシステムを導入するときには、地方自治法の規定から「仕様書」を作成して、入札を行い一番安価な金額でできると提示した事業者を調達先に選ぶ。ところが、IT技術でできることが格段に増えてきているのと、その変化が速くなっていることから、仕様書を作成するのがとても難しくなっているのだ。
すると、生半可な仕様書で入札してしまったばかりに、使い勝手の悪い時代遅れのシステムを導入してしまう国の省庁や自治体があとをたたない。職員がそれで困るのは自業自得なのだが、それによって住民へのサービスが悪くなるのは避けてもらいたいところだ。
神戸市がスタートアップと共同で事業を立ち上げ
そこで神戸市では、職員の独力でいきなり仕様書を作成するのではなく、ITなど専門知識を持っているスタートアップとともに新しいサービスを共同で開発する事業(アーバンイノベーション神戸:UIK)を立ち上げた。
この事業では、昔ながらの仕事のやり方を変えたいと思った担当部署が、その業務の問題点を公開する。次に、それを自社のIT技術で解決できるのではないかと考えたスタートアップらが手をあげる。その中から一番良い事業者を神戸市が採択。そのあと3か月ほどの間、市職員と選ばれたスタートアップとの間でプロトタイプ開発を進める仕組みだ。開発に成功したアプリやサービスは、実際に職員や住民が使う実証事業を行う。
自治体にとって専門的な見地を踏まえながら、現実的に導入できるのかまで検証しながら進められるメリットがある。入札によるいちかばちかの事業者の決定より安心だ。
「規定」の壁を突破し、新しい調達制度の導入
だが、この方法で実証事業を成功させたとしても、それを本格導入するには大きなハードルが存在する。誰もが共同開発でうまくいったのだから、そのまま契約を結んでそのシステムを導入すればよいと考えるだろう。ところが、ここで立ちはだかるのが地方自治法の規定だ。このようなときにでも、なんと「仕様書」を作成して、入札しなければならない。というのも、事業者が公平公正に選ばれたのか、その価格が適正なのかが保証されていないからだ。
そんななかで神戸市は、自治法施行令にある新ビジネスを応援するためであれば、それを開発した会社を名指ししての随意契約ができるという規定(地方自治法施行令第167条の2第4号)を使った新しい調達制度の導入に踏み切った。
よく考えてみると、UIKは公募で事業者を選ぶので、どの事業者でも参加できるという点で公平性は確保できている。あとは、最初に公募したときの課題の範囲内での契約になっているのか、価格が適正であるのかを点検できればよい。そこで、IT企業の元幹部、大学教員、弁理士からなる外部有識者の会議がそれをチェックする仕組みを導入した。
UIKでは、国民健康保険のレセプト(診療報酬明細書)の点検作業にRPA(Robotic Process Automation)を導入して年間450時間の作業量の削減につながったり、区役所窓口での案内時間をタブレットアプリで半減したりして、行政の業務の効率化と市民へのサービス向上の両面で成果が上がっている。
街を変える事業に将来性を感じて起業
この事業の将来性をひそかに感じた吉永は、2020年3月に神戸市役所を去り、一般社団法人アーバン・イノベーション・ジャパンを立ち上げた。
「このUIKには、街を変えていけるいろんなヒントが詰まっていると感じました。全国に拡大していくと思っています。ですが、自治体にはノウハウがありません。それを手伝えるのではと思いました」
それから約2年半。
吉永の判断は正しかった。全国各地の自治体が、神戸市がはじめたスタートアップと行政職員による共同開発によく似た事業を次々とはじめたのだ。すると、その事業の運営を手伝ってほしいと吉永に声がかかった。
UIKを運営してきたNPO法人コミュニティリンクとともに事業を広げ、2022年度では12の自治体から業務支援の仕事を請け負っている。提案方式での事業者選定になると、大手のシンクタンク相手でも負け無しだという。
いまや20人ほどがこの業務に従事している。こうなるとメンバーにどうやって吉永自身の経験とノウハウを共有して、業務の品質を確保できるのかが大事になっている。今はそれに頭を抱える日々を過ごしているという。
外部人材を「お客さん扱いしない」神戸市での仕事が大事な経験に
そんな吉永に久しぶりに話を聞くことになった。知りたかったのは、神戸市役所での仕事、つまり行政で働いた経験が本当にいま役立っているのか、という一点であった。
「外部人材といってもお客さん扱いされずに、職員と全く同じ立場で仕事をさせてもらったのが良かったです。議会の答弁を書いたり、予算要求書を作成してそれを財政当局に説明したり、全て任されていました。なので、いまでも自治体の職員と話をしたときに、職員たちが何で苦しんでいるのが手に取るようにわかります」
吉永の挑戦はまだはじまったばかりだ。一方で彼のノウハウを求める自治体はさらに増えていくであろう。
ただ、彼が問題にしている「調達」の壁は立ちはだかったままだ。地方自治法の規定で許されているはずの前述の随意契約の制度を導入する自治体が意外に少ないという。それでも、彼は自治体職員と論戦を交わしながら、自らが提起した「調達改革」の道を一歩ずつ進んでいる。これからどのように立ち振る舞っていくのかに注目していきたい。
【吉永隆之のプロフィール】
一般社団法人アーバン・イノベーション・ジャパン 代表理事
大学卒業後、SIerにて10年間システム開発の現場に携わったのち、2014年から約2年間、福島県浪江町役場に勤務し、町民コミュニティの再生を目指したアプリ開発に従事。2016年4月より神戸市 ITイノベーション専門官として、スタートアップ支援事業に従事。現在は、市役所を離れ、神戸市からスタートしたスタートアップと自治体が連携した地域課題解決プログラムUrban Innovation Japanを全国14自治体で展開中。