ビザスク日本共同代表 七倉壮・宮崎雄の参画からコールマン買収まで
七倉壮(しちくら・たけし) 株式会社ビザスク 日本共同代表
宮崎雄(みやざき・ゆう) 株式会社ビザスク 日本共同代表
ビザスク日本共同代表の二人が明かす舞台裏(前編)
個人の叡智を他社の成長に活かす「スポットコンサル」サービスで国内最大手のビザスクは今、組織のあり方を大きく変えようとしている。
最も大きな変更は、2012年の創業からビザスクをけん引してきた端羽英子代表取締役CEOが日本国内のマネージメントを2人の「共同代表」に任せたこと。端羽CEOは、グローバル企業のトップとして、海外に集中する。それにしても、いつの間に、こんなに大きな企業グループになっていたとは。
2020年3月に東証マザーズ(現・東証グロース)に上場を果たすと、コロナ禍のただ中、翌2021年11月に米大手のコールマン・リサーチ・グループを買収。日米に加え、シンガポール、香港、英国を含む世界5カ国7拠点、500人超の体制となった。
2023年4月14日に発表されたばかりの2022年度(2023年2月期)決算では、取扱高が前年比約2.2倍の123億8300万円、売上高(営業収益)が同約2.3倍の83億8000万円と、大幅な成長を見せた。その好業績を支えているのが、“個人コンサルタント”として、ビザスクに登録しているアドバイザーである。
アドバイザーの数は、190カ国56万4000人超に膨らんだ。うち、創業の地である日本国内のアドバイザー数は16万人超。日本は、買収したコールマンに比べて事業会社による活用が多く、企業向けの多様なサービス群も展開しており、グローバルでの横展開に向け、一層の強化とブラッシュアップが求められる。
その舵取り役は今年3月から、共同代表という珍しいかたちで七倉壮氏と宮崎雄氏に託された。
日本というリージョントップを2人で任されることになった経緯は。そのことを2人はどう感じているのか。そして今後、どういう役割分担で、日本事業をどう展開していこうと考えているのか――。
NGなし、忖度なしのロングインタビューをお届けする。
「七ちゃん、来ないの?」
―― 別々のバックグラウンドを持つお二人ですが、まずはビザスクにジョインしたあたりの話からお聞かせください。
七倉 では、古い方から。私は、ビザスクがちょうど10人くらいのタイミング、2016年の春にビザスクに入りました。きっかけというか出会いは、その約1年前になります。
私は前職が日本政策投資銀行でして、2015年4月1日付けでベンチャー投資の部門に異動しました。その初日、「ちょっと資金調達の打診がある会社があるから一緒に来て」と先輩に連れられて会ったのが、ビザスクの端羽でした。
私としてはベンチャー投資の初案件ですし、初めて会ったベンチャーの経営者でもありました。それまで、ビザスクのことも知らなかった。でも、端羽の話を30分聞いただけで、「これはいける」と思いました。
先輩から、「お前はどう? どうしたい?」と聞かれて、僕は「投資した方がいいと思います。僕が担当で投資委員会に入るので」と言って。その後、順調に投資が決まり、2015年7月に実行されました。
―― その時は、いつか転職しようという思いなんてないですよね?
七倉 ないですね。ベンチャー投資の仕事はかなり楽しんでいて、ビザスクの支援も僕なりに一生懸命、頑張ってやっていました。投資直後は、ビザスクが地銀さんとの連携を深めようとしていたタイミングだったので、メンバーと一緒に東北出張へ行ったこともあります。
そうやって、お付き合いしていたのですが、2015年の暮れに、端羽からFacebookメッセンジャーで1行だけのメッセージが来まして。社内で「七(ナナ)ちゃん」と呼ばれているんですけれど、「七ちゃん、いつか来ないの?」と。
転職なんてまったく考えていなかったんですけれど、僕はなぜか「声かけるの遅いですよ」みたいな、前のめりな返事をその場でしていました(笑)。
さすがに1週間くらいは考えましたが、ベンチャー投資って、例えば年間300社くらいに会って2〜3社投資するかどうかみたいな確率の世界で、1社目に出会ってしまったわけです。端羽は竹を割ったような性格で、「この人と一緒にやって失敗しても後悔しなそうだな」とも思いまして、迷いなく来たという感じです。
投資先という関係性なので、前職のベンチャー投資部門のトップと端羽と僕とで3者面談みたいなこともやり、最終的に前職も後押ししてくれました。もう2016年の年明けには転職が確定して、2016年の5月にジョインしたという流れです。
個人に与えるインパクト
―― 具体的にビザスクのどの部分に惚れたのでしょうか?
七倉 前職の銀行で最新の情報を仕入れなければいけない立場にいましたし、業界調査もやっていたので、そもそも個人の叡智やノウハウを他社のために活かす「スポットコンサル」というビジネスに強いニーズがあることはよく分かっていました。
ですが、最後の最後、このビジネスに自分の身も投じたいと強く思わせたのは、登録してくださっている個人のアドバイザーさんに与え得る影響、インパクトです。
一般企業に務めるビジネスパーソンでも自営業の方でも、どんな人でもアドバイザーとしてビザスクに登録できます。過去の経験からアドバイスを提供する一連のプロセスを通じて、自分の強みはなにかとか、ここはうまくしゃべれなかったから次はこうしようとか、金銭的な対価のみならず、「学び」も得られるところが素晴らしいと思っています。
一方で、リタイアした人であっても、自分が仕事で培ってきた経験を時間と場所を選ばずにお金に換えることができる。そういう学びや新しい価値の創出が個人に与えるインパクトってすごいんじゃないかと。僕にとって、10年、20年をかけられるビジネスなんじゃないかと思わせたのは、やっぱりそこですね。
目の前でCEOとCFOが口論
―― 宮崎さんのジョインは七倉さんのジョインから3年後ですよね。端羽さんと知り合ったきっかけはあるのでしょうか?
宮崎 そうですね、私は2019年3月の入社なので、3年遅れです。端羽とは、七倉のようにビジネスでの付き合いがあったわけではなく、プライベートでもなく、転職のエージェント経由で面接したのが初めてです。
前職のリクルートには新卒で入って13年と、結構、長くいるなかで、既存の事業を大きくすることより、なにか新しいものをつくっていきたいという気持ちが高まり、転職活動をしました。ビザスク含めてスタートアップを中心にいろいろと見ていったときに、週末にふと頭に浮かぶのはビザスクのことだったりして、そんなに迷わずに決めた感じです。
ビザスクの募集は「CEO室」という経営企画っぽい仕事で、リクルートでの最後の5年くらいは経営企画畑だったので応募したのですが、入社以来、ベタベタの営業職を経て新規事業開発なども経験しております。ということを端羽との面接で話したら、そこに食いついてきたのを覚えています(笑)。がつがつ売り上げもつくれる企画部門の人材を求めていたようで、そこに合致したのかもしれません。
それで、オファーの前、「食事でも行きませんか」ということで、端羽と当時のCFO(安岡徹氏=2021年11月退任)と3人でごはんを食べたのですが、端羽と当時のCFOが私の目の前で、ある事業をどう伸ばすのかについて赤裸々に話し始めて、意見をぶつけ合って、ある意味、ケンカするわけです(笑)。
でも、自分にとってはそれがすごくポジティブでした。まだ入るとも決まっていない人の前でやり合うその雰囲気がいいなと。ジョインしたとき、自分も思っていることをフラットに言えそうだなとか、活躍できそうなイメージが沸くなとか、そう思えたことが自分のなかでは決め手になりました。
―― リクルートと同じく「人」にかかわるビジネスですが、どこに惹かれましたか?
宮崎 リクルートの柱は就職と転職、あるいは結婚。どれも人生のごく短い期間に個人から必要とされるものですが、ビザスクのサービスって、一時的なお付き合いではなく、アドバイザーの方がその仕事を続けていればいるほど、しゃべれることが増えていく。その方の人生と密着したようなサービスであることが大きな違いで、自分には魅力的に映りました。
「最初、CFOかなと思って」
―― ここからは、ビザスクに入社後のお二人が、どう活躍されてきたのかを伺いたいと思います。まず七倉さんは、どういうポジションでジョインされたのですか?
七倉 正直言うと、最初はCFOなのかなと思っていました。前職は銀行ですし、一応、財務にも詳しいので。
宮崎 過剰評価だな、自分(笑)。
七倉 そう、自分の過剰評価もありますし、端羽自身がファイナンスできることを忘れていたというものありますし、そもそも、当時10人のサイズの会社でCFOは必要なのかというと、そうでもない。
「いやいや、七ちゃん、あなた営業だよ」と端羽から言われて、「そうか、俺、営業なのか」と思って。思い返してみれば、銀行時代、融資の営業をやっていたこともありますし、楽しかったような気もするなぁと。
それで、僕ともう一人と二人で営業を担当しました。肩書きは「シニアマネジャー」みたいなのがついていたかもしれませんけれど、そこにあまり意味はなくて(笑)。みんな、とりあえずシニアマネジャーと書いてあるみたいな。そんな時期でした。
今に至るまで、営業を続けてきて、自分には合っていたなと思えますし、今のCFOを見ていても自分には絶対にその仕事できないなと思うので、営業に向かわせてくれた端羽には感謝しています。
―― 宮崎さんはどんなポジションで入ったのですか?
宮崎 先ほどもお話したように、経営企画室的な役割のCEO室の人材募集がきっかけだったので、入ったときは「CEO室室長」という謎のポジションで。CEO室って僕以外、誰もいなかったんですけどね(笑)。
それで、最初に端羽から言われたミッションとしては、事業会社向けのビジネス拡大を考えてほしいと。一般のメーカーとか商社とかに、我々の抱えているアドバイザーさんのアドバイスをもっと活用してもらうにはどうしたらいいか。事業責任者と一緒になって、なにができるかから考えてほしいというのがお題目で、しばらくやっていた感じですね。
大江戸温泉物語の出会い
―― 宮崎さんが入ってきたころ、七倉さんはなにをされていたのか。そして、お互いの第一印象を覚えていたら、教えてください。
七倉 みやゆう(=宮崎氏)が入ってきたときは、僕は金融のお客様に対峙する営業チームの責任者でした。当時は社員全体が50人ほどになっていて、金融営業チームは5〜6人くらいだったと思います。第一印象……。
宮崎 覚えています。入社する前に、全社合宿みたいところに参加させてもらったんです。
七倉 ああ、コロナ前、最後の大江戸温泉物語(笑)。
宮崎 お台場にあった日帰り温泉施設の会議室で議論したあとに温泉に入るという、超アウェーの場に行ったときが、七ちゃんに会った最初です。
上場を自分はどう解釈していくのか、といった議論をしていたんですけれど、そこで、若いのにまともなことを言っているなというのが、七ちゃんの第一印象。リーダーシップも発揮していて、ちゃんと議論を前に進めていて、思ったより“大人”がいるぞという印象でした。
―― 逆に、七倉さんは宮崎さんについてどんな第一印象でしたか?
七倉 その大江戸温泉における印象はあまり覚えていないんですけれど、みやゆうの前職の肩書きが「経営企画部長」と聞いていたので、最初は先入観でスマートな感じなのかなと思っていました。
それこそ、自分の領域でもある営業もバリバリやっていた“すごい子”が来るという触れ込みだったので構えていたら、話してみると意外と気さくでフランクだし、飲むとうるさいし、いい意味で先入観を裏切ってくれました(笑)。
ビザスクは専門性を備えるアドバイザーと企業顧客をマッチングする自らのビジネスを「スポットコンサルサービス」と呼んでいるが、広義では欧米で発達してきた「エキスパートネットワークサービス(ENS)」とも言える。
欧米では、主に機関投資家や証券会社などがENSの企業顧客となり、投資判断の材料としてENSの登録アドバイザーへの個別インタビューを繰り返してきた。また、大手コンサルティング会社も顧客のプロジェクトのためにENSを活用することが増えていった。
基本的にENSの規模は、抱えるアドバイザー数が指標となる。GLG(ガーソンレーマングループ)は世界150カ国に100万人以上を抱える世界最大手。日本にも進出しているが、言語が壁となり、欧米ほど浸透はしていなかった。
そこへ間隙を縫うように勃興し、急成長を遂げたのがビザスクだった。
後発ながら、グローバルではENSの空白地帯となっていた日本でデファクトの座を取り、個別インタビューに加え、複数のアドバイザーへの一斉調査や、業務委託や社外役員の依頼といった旧来のENSの枠にとらわれないサービスメニューを拡充。金融やコンサルティング会社のみならず、一般の事業会社でも利用しやすくなり、顧客企業数を伸ばした。
そして2021年8月、ビザスクはグローバル展開をする中堅ENSの一社、26万人(当時)のアドバイザーを抱える米コールマン・リサーチ・グループを買収すると発表。日本人を中心にアドバイザー数14万人(同)のビザスクが大を飲んだと話題になった。
コールマン買収、「Zoom」で愛を叫ぶ
―― 米コールマンの買収ですが、二人のかかわりは。
宮崎 買収に関しては、僕はCEO室だったので、七ちゃんよりも先にかかわっていた感じで。というのも、2020年3月に東証マザーズ(現・東証グロース)に上場したあと、端羽とCFOと、当時COOだった瓜生英敏(現・CSO)と自分の4人で、M&Aに向けた定例ミーティングを始めたんですね。
なにもネタはないんですけれど、国内外のオポチュニティーを探しに行くんだという気概を持って、場だけを設定して。当社のバリューに「初めから世界を見よう」と掲げているので、海外のM&Aは当初から視野に入れていましたが、いよいよ上場して、M&Aもちゃんとやっていこうとなり、お互いリストやシナリオを持ち寄って議論をしていきました。
―― GLGも候補に挙がった?
宮崎 さすがにあれほどの規模になると候補にはなりませんが、ENS業界に限らず米国や欧州、アジアでいくつか候補となるプレーヤーはいて、我々が上場したこともあって、ENSの業界がざわつき始めたタイミングでもありました。
欧米ではENSは古い業界ですが、上場したのはビザスクが世界で初めて。ENSというビジネスに初めて公の値がついたということで、相場観ができて、海外ENSの資金調達に向けた動きも出始めていました。
複数の候補と接触しながら進めていったなかで、老舗でもあるし、我々の議論でも最初の段階から名前が出ていたコールマンにも動きがあるぞ、という情報が上がってきて、我々から話を持っていったという流れです。
じつは、CSOの瓜生が、もともと僕らが上場する前からコールマンの社外役員と何度かコンタクトをとっていたこともあって、つてはあった。タイミング良くコンタクトできたのは、瓜生のつながりがあったことが、すごく大きかったですね。
―― 買収を持ちかけて、すんなりと進んだのですか?
宮崎 最初は、東洋の果てしないところから話が来たな、みたいな感じではあったと思います。ただ、話すと、彼らとビザスクが得意とすることはあまりに違うので、逆にシナジーが生まれやすいというか、一緒になれば双方の強みが生きるね、という話になっていきました。
―― 交渉はコロナ禍が最も厳しい時期ですよね。
宮崎 ですから、誰も米国に行っていないし、誰も来ていないオンライン完結で、スピーディーに話は進んでいきました。
最終的にコールマンの創業者でCEOのケビン・コールマンに、一緒になってもいいと思わせたのは、明るくプレゼンをして、私はあなたたちと本当に仕事がしたいんだと情熱を語った端羽の影響が、かなり大きいと思っています。まさに「Zoom」で愛を叫ぶという感じで(笑)。
―― オンライン完結、いまどきですね(笑)七倉さんはどう見ていましたか?
七倉 僕は少し離れた距離で見ていましたが、補足すると、向こうのケビンも、やっぱりアジア進出の難しさを感じている一方で、日本を含むアジアでの機会の大きさやマーケットの魅力もよく知っていた。僕らも米国市場や、コールマンが持つアドバイザーのデータベースの大きさは間違いなく魅力で、相思相愛の構図でした。
宮崎 なにが一番大変だったかというと、買収資金です。お金がないのに、我々より大きいところを買収するということで、先方のデューデリをするとともに、我々も資金調達のためにデューデリされるという、あっちとこっちが同時並行で進んで。主に、瓜生がコールマン側とのコミュニケーションを保ちながら、私の方は調達の方を現場で担当していました。
(後編に続く)
【七倉壮(しちくら・たけし)のプロフィール】
株式会社ビザスク 日本共同代表
一橋大学卒業後、2011年に日本政策投資銀行に入行、自治体の地域経済/観光戦略検討支援や仙台拠点における長期企業融資を担当後、DBJキャピタルにてベンチャー投資に携わる。2016年5月、当時10名程度のビザスクに参画し、初期フェーズでの顧客拡大に貢献。2019年に執行役員に就任し、コンサルティングファーム、金融機関等のプロフェッショナルファーム向け事業の成長を牽引している。
【宮崎雄(みやざき・ゆう)のプロフィール】
株式会社ビザスク 日本共同代表
横浜国立大学卒業後、2006年にリクルートHRマーケティングに入社。営業、新商品開発、リクルートホールディングス・リクルートジョブズの経営企画部門の責任者として従事。2019年3月にビザスクに参画し、CEO室長とビザスクlite事業部長を兼任。法人向けマーケティングとインサイドセールスを立ち上げ、国内法人顧客数を4倍に成長させる。2020年に執行役員に就任し、2022年3月より法人事業部 事業部長に就任し、国内事業会社向けサービスの責任者として新サービスの検討、新規顧客の開拓などを牽引。