2023.5.2

【伊東建築塾】 なぜ世界的な建築家が、子供のために「塾」を開いたのか?

和泉 俊史

ライター


伊東豊雄 建築家(後編) /  聞き手 白井良邦

課題解決の“デザイン”

デザインを通してビジネス、地域、社会全体の課題解決に取り組む人物にスポットを当て、そのひとが何故、どういうきっかけで、どのようにして“デザイン”で課題を解決したのかに迫る本コーナー。

「デザインによる課題解決」に至った過程、悩み、模索し生まれたデザインとは?編集者で、慶應義塾大学特別招聘教授の白井良邦が聞いた。

伊東豊雄といえば、建築界のノーベル賞といわれるプリツカー建築賞も受賞した建築界では知らぬ者はいない巨匠建築家である。そんな彼が2011年、NPO「これからの建築を考える」を立ち上げ、建築を通じた子供向けの私塾「子ども建築塾」の活動を始めた。そこに一体、どのような狙いや考えがあるのか?また、建築を通じどのようにして課題解決をしてきたのか?東京・代官山にある伊東豊雄の事務所を訪ねた。

インタビューに答える建築家・伊東豊雄。撮影/鷲崎浩太郎

――― 前回のインタビューに続き、今回も仕事面で「デザインで課題解決ができるかどうか?」をテーマにお伺いしたいと思います。伊東さんは2011年に建築塾を立ち上げ、その中で「子ども建築塾」も始められました。子供向けに建築を教えるという意図を教えてください。

伊東 日本で建築教育といえば、大学や高専の建築学科に入ってからというのが一般的です。でも私は、小学生の頃から人は建築に親しみ、建築について考えて欲しいと常々思っていました。というのも、建築について考えることは、家族や社会、環境のこと、つまり私たちの暮らしについて深く考えることにつながるからです。

「子ども建築塾」の様子。この日は最終講評会で講師陣の前で子供たちのプレゼンテーションが行われた。撮影/鷲崎浩太郎

――― 塾で教えているのは、何歳くらいの子供たちですか?

伊東 小学校4年生~6年生までの児童です。40名を対象に、年間20回の講座を設けています。「いえって何だろう?」とか「まちって何だろう?」というテーマのもと、模型をつくったり、実際に街歩きをしてみたりしています。塾の拠点は東京・恵比寿にあって、私の設計でつくった建物があり、そこで集まって活動しています。

「子ども建築塾」での様子。5つのグループに分かれ、チーム単位で発表が行われた。撮影/鷲崎浩太郎

――― 私も3月の最終講義(課題発表&講評会)にお邪魔して、子供たちの発表を拝見しました。2022年度の後期の「まち」課題の発表会でしたが、子供たちが「百人島」をつくる、というものでしたね。

伊東 そうです、コペンハーゲンに実際にあるカストレット要塞をモデルに、そこに100人が暮らす人工の島「百人島」をつくろうというものです。2021年度も同じテーマの課題を設けたのですが、その時は1人ずつに敷地を割り振りました。そうすると、よく言えば思い思い個性的に、悪く言えば隣の敷地のことは考えずにアイデアを出してくるわけです。そんなこともあり、今回は子供たちを5つのグループに分け、個人個人でアイデアを出すのではなく、チームで発表内容をまとめるという形にしました。

――― 子供たちの反応はいかがでしたか?

伊東 すごくよかったと思います。グループの中ではやはり6年生がリーダーシップを取る傾向があったみたいで、4年生はやりたいことがあっても弁が立つ上級生には勝てなくて意見が通らないなんてこともあったようです。でもその話し合って決めるというプロセス自体が、大切な気がします。

「子ども建築塾」には毎年40名の小学校4~6年生の子供どもたちが参加し、建築を通じ社会のことを学ぶ。撮影/鷲崎浩太郎

――― チームでものをつくるということですね。

伊東 私たちも建築を考える時、グループでものをつくろうとしているんですね。実は先日、伊東建築設計事務所で働きたいという学生を面接したんですが、志望理由を聞いてみると、その学生は元々、伊東事務所にアルバイトで模型作りに来ていて、その時にグループで建築を考えるという事務所の姿勢に共感したみたいなんです。伊東事務所ではプロジェクトを進める際、まず皆が個々に一生懸命アイデアを提案します。その中から私がひとつを選び、このプロジェクトで行こうみたいに、誰かのアイデアを取り上げます。そこでプロジェクトがスタートしたら、また次の段階で皆でアイデアを出し合って、また選んで・・・を繰り返していきます。そうしているうちにそのアイデアが元々誰のものだかわからなくなってくる。さらに、最初考えていたイメージからとんでもない、想像しなかったアイデアが生まれてきたりするんです。そういう、皆でものをつくっていく、という姿勢を、私の事務所ではすごく大切にしています。「百人島」では、子供たちにもそういう体験をしてもらおうと思ったわけです。

「子ども建築塾」の後期の課題「百人島」。100人の人々が暮らす架空の島をグループごとに考えるもの。

――― 伊東さんは独立して、ご自身の建築事務所を立ち上げた時からグループで考えるスタイルだったのでしょうか?

伊東 そうですね。建築家には大きく分けて2種類のタイプがある気がします。どこまでも自分の考えを貫き通すというのが凸型であるとするならば、私は皆の意見を受け止める凹型だと思います。私は自分でももちろんアイデアを出しますが、皆にアイデアを提案してもらい、その中から良いアイデアを選び取って、プロジェクトを進めていくタイプです。丹下健三さんも恐らくこのタイプだったと思います。磯崎新さんや黒川紀章さん、谷口吉生さんなど優秀なスタッフがいて、チームで進めていったのではないでしょうか。

――― 伊東さんの事務所からも多くの優秀な建築家が育っていますよね。妹島和世さん、曽我部昌史さん、ヨコミゾマコトさん、平田晃久さん・・・と数えれば切りがありません。その伊東さんのやり方が、所員を鍛え、有名建築家を輩出する理由だと思います。

伊東 所員は皆、自分のアイデアを実現させたいと思っているので、アイデアを提案するように言うと、特にコンペ(設計競技)の時などは、みんなハッスルするんですよ。こういうことが、若手の建築家が育つ要因になっているかもしれません。

――― 伊東さんは他の人のアイデアでプロジェクトを進めることに抵抗はないのでしょうか?

伊東 最後まで自分だけのアイデアでやろうとすると、毎回自分の記憶や経験のなかにあるものだけの組み合わせでしかないので、やっていくうちに、どれも似たようなものになってしまうんですね。それは自分のスタイルを確立することでもあるので良いとも言えるんですが、私にとっては毎回同じようなものをつくることは退屈に思えるんです。

子供たちの発表は、グループごとに制作した建築模型を使い行われた。撮影/鷲崎浩太郎

――― 良い案を選び出すことにも才能が必要で、そこは伊東さんが持つプロデュース力だと思います。

伊東 でも最近の若い人たちは大人し過ぎる傾向があります。おれが、おれが、という位の積極性や主張、そしてアイデアや情熱がないとだめだと思います。私の事務所でも90年代はそういう意味で活気があった時代でした。皆、建築が好きだったので、所員と飲みに行ってもそこで建築の話ばかりしていましたし。

――― 実際に積極的だった、印象的な所員はいましたか?

伊東 例えば、80年代後半から90年代に事務所にいた建築家のヨコミゾマコトさん。彼なんかは、私がアイデアを出す前に自分でアイデアを出さないといけないと思って、私が朝事務所に行くと、彼の提案が私のデスクに置いてあったりしましたね。もうちょっと前の世代だと妹島和世さん。彼女はアイデアを積極的に出すというタイプではなかったけれど、好き嫌いがはっきりしていました。私がこう考えると言っても「いや、私はそれは好きではない」と言ったり(笑)。そこに、感覚的な鋭さがありました。

子供たちの提案に、暖かくも鋭い指摘をする建築家・伊東豊雄。撮影/鷲崎浩太郎

――― 伊東さんは建築家の菊竹清訓さんの事務所出身ですが、師匠の菊竹さんはどんな方でしたか?

伊東 私が菊竹さんの事務所で教わった一番の収穫は“身体で物事を考える”ということだと思っています。私は大学で建築を学んだ時、当時は丹下健三さんも磯崎新さんも大学にいて、建築はどこか頭で考えるもの、つまり論理で建築をつくるということが素晴らしいと思い込んでいたわけです。ところが菊竹事務所に行ってみたら、論理が通じない。菊竹さんが突然、これだ!と言ってひらめく。論理を飛び越えてしまう。それは頭で考えているのではなく、身体全体で感じているというか・・・五感すべてで物を生み出しているのではないかと思ったわけです。それ以来、建築の設計では“身体で物事を考える”ということを常々、心掛けてきました。

――― 身体的に思考する・・・ですか・・・

伊東 先日、伊東塾の大人向け公開講座があって、その時に「子ども建築塾」の生徒も10人くらい聞きにきていたんです。講座が終わった時に女の子がひとり、私のところにやって来て、「身体的に考えるってどういうことですか?」って聞いたんです。小学生の子供に言葉でそれを説明するのがとても難しくて私が口ごもっていると、その女の子の方が先に「それって“感じる”ってことですよね」って言ってくれたんです。まさにそういうことなんです。

――― 子供はそれを感覚的に理解しているのかもしれませんね。

伊東 子供たちは身体的に物を考えているなと思います。そう意味で小学4年~6年生くらいが一番面白いんですね。身体的に考える部分と頭で考える部分と両方持っていますから。6年生くらいになると結構、理性的になってきますけれどね。

――― なるほど。

伊東 私は今マンションに住んでいて犬を飼っています。私はいつもダイニングで食事をして寝室で寝るという、いつも同じ場所で同じことをする生活をしています。でも犬を見てみると、季節や時間によって寝場所も居場所も変えるんです。暑ければ玄関のタタキで寝るし、陽に当たりたければテラスにも出ていくし。つまり犬にとっては部屋という概念はまったくないんです。場所を選ぶだけです。身体的に考えるということが、居場所をつくる、ということにつながっていくのだと思います。

伊東豊雄設計の岐阜市の中央図書館<みんなの森 ぎふメディアコスモス>(2015年開館)撮影/中村絵

――― 岐阜市にある公共建築<みんなの森 ぎふメディアコスモス>(2015年開館)は、今までの図書館の概念をくつがえすものでした。心地良い居場所のような場が、図書館内にたくさん用意されていて、利用者が思い思いに本を読んでいたり勉強したりしている姿が印象的でした。

伊東 この建物のコンペティションの最終審査は東日本の震災前でした。しかし、建築をつくっていくなかで、被災地につくった「みんなの家」の考えが、一番反映された建築だと思います。人が集まる場所をつくりたいと思っても、頭で考えて設計していたら人は集まってくれないんですよ。モダニズム(近代主義)建築の問題点のひとつは経済合理性に重点が置かれ建物がつくられたので建築が「均質化」してしまい、人間が自然と切り離されてしまったこと。均質化した空間の中で人間は動物的な感覚を失ってしまいます。<ぎふメデイアコスモス>では自然との関係をもう一度取り戻そうと試みました。空気の流れを重要視していて、その空気の流れで心地よい居場所をつくろうとしました。もうひとつのモダニズム建築の問題点は「機能」で建築をつくろうとしたことです。<ぎふメディアコスモス>は図書館なんだけれど別に本を読まなくてもいいじゃないか、銭湯のような人と人が触れ合うコミユニティーを生む場になればと思い、つくられています。その結果、人が集まる建築が生まれたんだと思います。

前編はコチラ

あとがき

「グループで繰り返し考え、新しいものを生み出していく」。

「身体で物事を考え、今までにない居心地のよい場所を生み出す」。

伊東豊雄氏から、今までにない物事を生み出していく方法論の話を伺った。職種が違っても、その方法論を取り入れることは可能だと思う。ぜひこのやり方を、ビジネスをはじめとした分野に応用できるのではないだろうか。

「子ども建築塾」の拠点、東京・恵比寿にある<伊東建築塾>。建物の設計は伊東豊雄が手掛けた。撮影/鷲崎浩太郎

伊東豊雄のプロフィール

建築家

1941年生まれ。1965年、東京大学工学部建築学科卒業。主な作品に<せんだいメディアテーク><多摩美術大学図書館(八王子キャンパス)><みんなの森 ぎふメディアコスモス><台中国家歌劇院>など。ヴェネチアビエンナーレ国際建築展で2度の金獅子賞(2002年のライフタイムアチーブメント、及び2012年の日本館展示)や、建築界のノーベル賞といわれるプリツカー建築賞(2013年)など受賞多数。2011年にNPO法人「これからの建築を考える」設立。私塾「伊東建築塾」を開設し、子ども建築塾など、これからの街や建築を考える建築教育の場を設け様々な活動を行っている。また自身の<今治市伊東豊雄建築ミュージアム>が建つ愛媛県今治市の大三島で、塾生有志や地域の人々と共に継続的なまちづくりの活動に取り組んでいる。今年2023年7月には茨城県水戸市に<水戸市民会館>がオープンする。

聞き手 白井良邦のプロフィール】

編集者/慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授。

1993年(株)マガジンハウス入社。雑誌「POPEYE」「BRUTUS」編集部を経て、「CasaBRUTUS」には1998年の創刊準備から関わる。2007年~2016年CasaBRUTUS副編集長。建築、現代美術を中心に「伊東豊雄特集」、書籍「杉本博司の空間感」、連載「櫻井翔のケンチクを学ぶ旅」などを手掛ける。2017年より 「せとうちクリエイティブ&トラベル」代表取締役を務め、客船guntu(ガンツウ)など、瀬戸内海での富裕層向け観光事業に携わる。2020年夏、編集コンサルティング会社(株)アプリコ・インターナショナル設立。出版の垣根を越え、様々な物事を“編集”する事業を行う。著書に「世界のビックリ建築を追え」(扶桑社)、共著に『この旅館をどう立て直すか』(CCCメディアハウス)、『Shiroiya Hotel-Givng Anew』(ADP)など。

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