商店会が人をつなぐ。西新宿淀橋地区の新たな街づくり
「西新宿」と聞くと、新宿駅西口のヨドバシカメラ周辺を思い浮かべる人が多いかも知れない。西新宿というのは1丁目から8丁目まであり、駅西口の大型ロータリーやヨドバシカメラがあるエリアは1丁目、都庁や新宿中央公園があるエリアは2丁目だ。2023年に西新宿再整備方針が策定され、一帯の再開発が進んでいる。
一方、西新宿の歴史を紐解くと非常に興味深いのが5丁目と6丁目である。新宿区と中野区の境にある神田川の東側に位置するのが西新宿5丁目、6丁目。青梅街道上に淀橋があるため、淀橋地区と称される。かのヨドバシカメラは、この地で株式会社淀橋写真会を設立したのが始まりだ。
現在、淀橋地区も再開発の真っ只中。かつては平面的に広がっていたエリアだが、ビル街区の形成により閉鎖的な空間になってしまう懸念がある。
江戸時代から個人商店で賑わっていた淀橋地区
西新宿は江戸時代から明治初期にかけて、内藤新宿という宿場町として繁栄していった。1923年の関東大震災により、東京東部から多くの人が西側へ移住し西新宿は栄華を極める。特に淀橋地区は熊野神社と隣接する十二社池と呼ばれる池があり、茶屋や料亭などが立ち並ぶ花街であった。
西新宿商店会で8代目の会長を務めている伊賀光政さん(73)も「特に大正時代の淀橋地区は本当に栄えていたと聞いている。熊野神社の門前町として、多くの人が道を往来していた」と話している。生鮮三品を含め、120軒以上の個人商店がひしめき合っていたという。
戦後間もなく淀橋地区で創業した和田ふとん店の店主、和田俊行さん(89)は当時の様子を知る貴重な人物の一人。「十二社池には芸者が集まり、屋形船も出ていた。料亭は多くの座布団を購入する。同業者も多かったが、池を中心に淀橋地区の経済は循環していた」と語る。
転換期となったのは、多くの人が往来していた道の拡幅である。急速に自動車の普及が進み、熊野神社や十二社池に続く歩道は車道となった。それが現在の十二社通りである。これにより、近かった人と人の距離が分断。さらに、1968年には新宿副都心計画により十二社池も埋め立てられた。以後、淀橋地区のビル街区形成が進んでいくこととなる。
危惧される商店街の衰退
西新宿にある工学院大学で情報学部の学部長を務める三木良雄教授は、実社会のデータ分析やAIを活用した問題解決を研究テーマとしており、淀橋地区の新たな街づくりにも尽力している。三木教授は「ビルで閉じられた空間になってしまうと住民の交流が途絶え、結果的に人と人との情報交換が疎になる」と指摘。街の特徴がなくなり、生産性が低下すると商店街の客足は減り、店舗の業種も減るだろう。それは衰退を意味する。
「住居近くの商店街が衰退すると居住区と商業区が完全に分裂してしまい、ますます“住むだけ”、“買い物するだけ”の地区となる。結果、人々の文化的、精神的、ビジネス的創造性というものが無くなってしまう」と警鐘を鳴らしている。
淀橋地区の個人商店は平成に入り、徐々に数を減らしていく。先述の和田さんは「朝、外に出ても『おはよう』と挨拶できる人がいなくなった。また、淀橋地区の象徴でもある熊野神社の例大祭も神輿の担ぎ手もいない。地元ではなく他所の地域に担ぎ手を依頼している状況」と嘆いた。
“祭り”を通して「オラが町」と思える街づくりを
タワーマンションが次々と竣工しているため、人の数自体は増えているのは確か。つまり、古くから淀橋地区に住む商店街の人たちと、新たにやってきた人たちの融合で価値が生まれる。では、現代の技術を駆使すれば街や人の結びつきが生み出せるのではないだろうか。
これに対し三木教授は「サイバー空間でも結びつきを生み出すことはできるが、リアルワールドでの結びつきを伴わなければ創造力にはつながらない」と答えた。リアルワールドでの結びつき。西新宿商店会の伊賀会長は、それこそが“祭り”であると訴えている。
高層ビルの建設により、伊賀会長が経営する伊賀薬局も移転を余儀なくされた。「現在、西新宿商店会に加盟しているのは40軒弱。順境であれ逆境であれ、街づくりの目的は一つ。新しい古い関係なく、皆が“オラが町”と思える環境を創ること」とし「神様や自然に感謝する祭りというイベントは、日本人の心そのもの。そして、祭りが持つ熱気は人の心に和をもたらす。子どもが地元の祭りに参加して神輿を担ぐことで、大人になった時、地元を思い出すのではないか。祭りを通して新しい人も街に馴染み、子どもに良さを伝えていくことが今の淀橋地区にとって重要なこと」と話す。
新旧融合の期待を背負う新店舗
個人商店の数が減り続ける中で、新たにオープンした店もある。まず、2023年4月に開店したのが「イオンフードスタイル西新宿店」だ。大手スーパー株式会社ダイエーが運営する同店は西新宿商店会に隣接する元淀商店会に加盟。前田貴広(52)店長は「地元に根付くことが会社の方針。当店では江戸時代の新宿名物である『内藤とうがらし』を取り扱うなどして、地域に貢献していく」と語った。また、前田店長は商店会メンバーとして近隣小学校で「スーパーでの働き方」を講演するなど、積極的に地域との交流を図っている。
2023年秋にオープンした居酒屋「おさかなや」の石井悠司(30)店長も元淀商店会メンバーとして、新たな風を吹き込む。同店はスタッフと来店者のコミュニケーションを重視しており、タブレット端末やQRコードなどは導入していない。人と人の結びつきを意識した店舗展開は、淀橋地区のコミュニティ拠点として重要な役割を担うだろう。「通常は1階で営業しているが、2階にもスペースがある。例えば、寿司職人を招いた交流会なども可能。街づくりのための意見交換の場にもなるのでは」と見据えていた。
元淀商店会で会長を務めるのは、伊賀会長と幼なじみの鈴木常生会長(73)だ。「新しく淀橋地区に来た人たちのほとんどがマンションに住んでいる。いかにして、街に降りてきて交流してもらうか。住人が足を運びたくなる街づくりが鍵」と課題を口にする。前田店長、石井店長という若手メンバーが加わったことは、新旧融合の追い風となるだろう。
もう一度、人と人が会話する街へ
かつての賑わいを取り戻すため、淀橋地区は行政や大学などとも連携して新たな街づくりを模索している。再開発に産学官民連携は欠かせない。しかし、一般的に見ると産学官民の連携は「民」と「民」、「産」と「産」、「産」と「官」という構成になることもしばしばある。
三木教授は「このような構成の場合、空間的に分断されてしまうと、利害関係が一致しない限り会話は生まれない」と述べる。
淀橋地区はかつて平面的で人や店が密集していた。神社や池に人が集まり、そこで多くの会話があったのだろう。時が流れ、多くのタワーマンションが立ち並んだ。そこに移り住んだ人たちは、インターネットで買い物や食事が完結できる。必要最低限の外出だけで、地域の店や人と交流を深めることは難しい。分断される関係をつなぐにはやはり、中立的な「学」の介入も必要不可欠だ。
さて、淀橋地区では3月22日から24日までの3日間、「よどばしさくらフェスタ」が開催される。会場は神田川沿いの淀橋さくら公園と淀橋会館。今回の祭りでは子どもたちをはじめ新旧の住民が集い新しい交流が広がることが期待されている。伊賀会長の掲げる理想の街の姿に近づく第一歩になるかも知れない。