バイオベンチャー成功の鍵。中二病だった研究者が“本気”のミッションドリブン経営者になるまで
メタジェンセラピューティクス株式会社 代表取締役社長CEO 中原 拓
腸内細菌叢を活用した医療と創薬で、難病の克服に挑む2020年創業のメタジェンセラピューティクス株式会社。CEOを務める中原 拓氏に、自身のアメリカでのベンチャー創業経験から、日米の起業環境の差について聞いた。「自分たちが大きく成長する姿を通じて、日本の研究者たちにビジネスで成功できるという可能性を示したい」と語る中原氏が、事業にかける思いとは。
中二病を経て、本で知った“経営”の面白さ
ーー研究者から、米国でのベンチャー起業立ち上げに至った経緯は?
中原 大学卒業後の進路をお話しするとちょっと長くなるのですが、北大の農学部を卒業した後は、名古屋大学の大学院に進み、郷通子先生の研究室でバイオインフォマティクスの研究経験を積みました。その後、北大理学部の西村紳一郎先生の研究室で博士号を取得して、2006年から長浜バイオ大学で助教を務めたのち、北大に戻って「糖鎖」の研究をしていました。その時に、共同研究先の製薬企業と一緒にアメリカでバイオベンチャーを立ち上げる話になり、お誘いをいただいたんです。
子供の頃から憧れていた博士のキャリアに乗っていたのですが、直感的にアメリカのバイオベンチャー起業の話に乗るべきだなと思いました。
ーー大きな転身ですよね。何かきっかけがあったのですか?
中原 私あんまり人間に興味がなかったのですが、大学で研究者やっていくうちに、チームとか同僚ってめっちゃ大事だなって思うようになって。「人間って大事だ!」って気づいたんです。それで、人間の大事さってどうやって学べばいいんだろうと思い、本に頼りました。そこで読んだのが経営学の本でした。本に頼っちゃうのがダメなとこなんですけど(笑)
ーー本から、経営学に目覚めたと。
中原 そうですね。中高生の頃から読書は大好きだったので、ありとあらゆるジャンルの本を読んでましたが、哲学や文学はとくに好んでいました。ヴィトゲンシュタインとか大江健三郎とか……、書店の棚にずらっと並ぶ岩波文庫を、端から端まで全部読破するというチャレンジをしたこともあります。その頃は中二病だったので、「経営学の本なんてバカが読む物だ」って思ってたんですよ(笑)。ところが、経営学の本を実際に読んでみたら、「こんないいことが書いてあったのか!」と目からうろこが落ちたんです。
チームの大事さを考える学問、それが「経営学」だと知りました。バイオベンチャー立ち上げに声をかけられたときに「いつも本で読んでる経営学の話だ」と思って、好奇心から渡米しました。実際にアメリカで会社を始めてみて、「自分は経営について何も知らない」という事実に改めて気づき、ビジネススクールに通って、経営に関することも学びました。
米国ニュージャージーで始まった研究者の挑戦
ーーアメリカでは、どんなベンチャー企業を立ち上げられたのですか?
中原 私がバイオインフォマティクスを用いて研究していた「糖鎖」に関する技術を活用したバイオベンチャーです。糖鎖というのはタンパク質を修飾する「アクセサリー」のような物質なんですが、病気になったりすると、糖鎖の種類や修飾の仕方が変化するんですね。それを利用して、糖鎖の変化を精緻に分析することで、病気をいち早く発見するための「バイオマーカー」に使えないかというのが当時のビジネスアイデアです。
糖鎖というのは分析するのがとても難しい物質なんです。DNAは僅かな量しかなくても、PCRで増幅することで正確に塩基配列を解読することができます。しかし糖鎖を増幅する方法はないので、そこにある物質を測定するしかありません。北大の西村先生の研究室では、かなり正確かつ広範に糖鎖を分析できる独自の技術を開発しており、製薬会社もそれに注目してスタートアップの設立を呼びかけてくれたんですね。
ーー非常に興味深いです。日本ではなく、アメリカで創業することになったのはなぜですか?
中原 一つの大きな理由は、その製薬会社のアメリカ支社がニュージャージー州にあったからです。ニュージャージーはプリンストン大学があることで有名ですが、実は大学の周りにはいくつも世界的なビッグファーマのオフィスがありまして、製薬業界の世界的中心地なんですね。
我々が開発しようとしていた技術を、将来的に買ってくれるお客さんとして、そうしたビッグファーマを想定していたというのが最大の理由です。バイオベンチャーを成長させる上で必要な、人・モノ・金の集まりやすさという点でも、当時から日本とアメリカでは圧倒的な差がありました。北大を辞めて参画したのが私ともうひとりの先生で、製薬会社からも1人出向して3人のメンバーで創業して、一番多いときには現地採用のスタッフを合わせて10人ぐらいいました。
ーー起業した会社はその後どうなったのですか?
中原 それが残念ながら、6年間、がんばって続けたのですが結局想定していたビジネスが軌道に乗らず、畳むことになりました。大変でしたねぇ・・・。
ーーなるほど……、失敗の理由は何だったのでしょうか?
中原 一言でいえば、私たちの考えていたプロダクトが、マーケットにフィットしなかったということです。実験によって面白いデータを生み出しても、それを買ってくれるお客さんが存在しなかったんです。そうなると企業というよりただの研究組織になってしまって、ビジネス化する道筋がある時期から見えなくなった。本来のベンチャーであれば、当初想定した事業が上手く行かなくなったときに、別の方向にピボットするべきなんですが、我々はいろいろな事情でピボットできなかった。もう少し違ったやり方ができれば……という思いはありますね。
米国での”失敗経験”を日本の企業が評価してくれて
ーーそこから中原さんは日本に戻り、事業会社での新規事業創出担当に。
中原 日本に帰ってきたのは37歳のときでした。ある消費財大手企業が、私のキャリアを評価してくれて雇ってくれたんです。30代の前半をアメリカでベンチャー立ち上げに従事し、生物学のPhDとMBAの両方を持つ人は、珍しかったんでしょうね。経営企画部で様々な経験をさせていただき、特に事業会社の立場で世界中のベンチャーエコシステムを見て回って、視野を大きく広げることができたと思います。
ーーメタジェンとの出会いはそのときに?
中原 その会社に入社して1週間も経たない頃ですね。山形の鶴岡に出張を命じられて、ちょうど当地でメタジェンを創業しようとしていた福田さんと会って話したんです。その頃の私はアメリカでスタートアップの立ち上げに失敗してヘトヘトに疲れていたんですが、そんな私に福田さんが自分たちの事業の未来について、目をキラキラさせながら語るんですよ(笑)。年齢も私の1つ上と近く、研究の実績もネイチャーに論文が載るようなすごい人でしたし、話を聞くうちに「もしかして、この人の会社なら成功するかもな」と感じました。
ちょうどその頃から、腸内細菌叢がバイオ業界で非常にホットなテーマとして話題になりはじめ、そこから事あるごとに「腸内細菌叢を活用した創薬をやるべきだ」と福田さんを説得していたら、結局、私が社長になって当社を立ち上げることになったという流れです。
(前編【メタジェンセラピューティクス 中原 拓】腸内細菌に感じた“大きな物語”。博士キャラに憧れた経営者が目指すイノベーション)
理想に向かって、石にかじりついても仮説を現実のものに
ーー中原さん自身、日本のバイオビジネスについて、どのように考えられていますか?
中原 日本のバイオビジネスの一番の課題は、資本市場にあると感じます。アメリカでは大学から生まれたスタートアップの技術をもとにバイオベンチャーを起業し、飛躍的に大きくなるケースがよくあります。新型コロナで一気に世界的に有名になった、mRNAワクチンを実用化したモデルナなどはまさにその典型です。そうした米国のバイオベンチャーは、上場前はもちろん上場後もしばらく赤字を掘ってイノベーションに投資しつづけ、大きなリターンを狙うのがスタンダードです。
一方、日本では事業会社や一般投資家が短期的に利益をあげてくれそうな会社にばかり目を向けて、5年、10年は赤字であっても成功すれば、世の中がガラリと変わるようなベンチャーにはお金が集まりにくい構造となっています。こうしたスタートアップにとっての日本の資本市場の問題点は、経産省など政府でも議論が進んでいるところです。
ーーなぜ日本は、目先のことばかり考えがちなのでしょうか。
中原 日本のバイオベンチャー市場が近視眼的である原因はいろいろ議論されていますし、なにかひとつ問題点を解消すれば済むようなものではないと思いますが、ひとつの大きな要因としては、日米の「ベンチャー」というものに対する精神性の差がある気がします。
もともとアメリカは、イギリスを脱出したピューリタンたちが「理想の国を作るぞ」と言って建国した国ですから、「自分たちの手で、世界をより良い方向に変えていく」という意思が国家の基礎にあるわけです。アメリカ人全員がそういう精神性を持っているとは思いませんが、理想を求めるのが移民の精神性であるし、スタートアップ起業家に移民が多いのはこうした精神性が背景にあると思います。
ところが、日本では自分が成功したいという「エゴ」でするのが起業だと受け止められていたりもします。失敗しないことを優先するサラリーマンや投資家が、現状に合わせて前例を踏襲することばかり若い子に教えたり、かなりの地獄だなと(笑)。
ーーなるほど。中原さんの考えるバイオベンチャー起業家のありかたとは?
中原 自分たちの描いた理想に向かって、仮説を現実にするために石にかじりついてでもやりきるのが、本来あるべき起業家精神だと思います。特にひとの命に関わる問題は理想と現実のギャップが大きく、そこにサイエンスと資本の力で橋を架けるバイオベンチャーは「最高のビジネス」だと一点の疑いもなく思っています。
昨今日本政府を始め多くの方々がバイオベンチャーを盛り上げようと応援していただいて大変ありがたいのですが、こうした精神性を一部でも共有していただいて、長期的な投資をしっかりできる社会基盤ができると、日本のバイオビジネスはもっと良くなると思いますね。
「チーフ“雑用”オフィサー」として、研究者を成功させたい
ーー米国での失敗が今の経営に生きている部分はありますか?
中原 そうですね…。会社が潰れるって本当に大変なんですよ。潰れるとなると、お金の面でも、雇用しているスタッフや経営陣との間でも、いろんなことが起こります。私も子供の頃からなりたかった博士のキャリアが終わってしまったと感じてしまって精神的にきつかったですね。あのときは本当に大変でしたが、ベンチャーが出来上がってから潰れるまでのプロセスをその内部でつぶさに見たことは、いまの会社の経営にも非常に役立っていると思います。
ーー中原さんが目指す経営者は?
中原 自分の役割は「チーフ“雑用”オフィサー」だと思っています。
腸内細菌叢移植(FMT)やそれを使った創薬についての世界最高峰の知識を持つ研究者たちが、研究の世界だけでなく、事業においても成功できるという姿を、私自身が見てみたいんです。そして、そうした姿を多くの方に知ってもらい、研究者を応援してもらえる環境づくりに貢献したい。そのために必要な、「人」・「金」・「仕事」をとってきて、研究開発以外のあらゆる雑用を引き受けることが、私の役割だと考えています。
彼らが腸内細菌叢というテーマで、世界レベルで大成功することができたら、それは日本の他の研究者にも大きな刺激となりますし、ロールモデルの一つになるはずです。自分の世代は大学を出て就職する時期が、いわゆる就職氷河期の頃で、「あんなに研究室では優秀だった人が、どうしてこんなに報われないんだろう」と感じることが少なくないんです。研究者が、研究でもビジネスでも妥協せず挑戦し報われる、希望あふれるアカデミア環境を日本に作っていきたいという思いもあります。
そして、一緒に働いてくれる社員や投資家などの仲間に対してしっかり報いていくことも、私の必達責任です。
最高のチームで、患者さんの願いを叶え続ける
ーーメタジェンセラピューティクスは、まさに中原さんのそんな思いが形となったチームということですね。最後に、御社が思い描く事業の未来についてお聞かせください。
中原 腸内細菌は医療の常識を変えていく、そんな可能性を秘めています。2022年12月1日(米国11月30日)、米国FDAで初めて、便から抽出した腸内細菌を原料とする医薬品が承認されました。今後、弊社も「腸内細菌移植(FMT)」や、腸内細菌サイエンスに基づく「マイクロバイオーム創薬」を活用した独自のビジネスモデルで、世界の先輩スタートアップに負けずに患者さんと科学の発展に貢献していきたいと思っています。
当社のミッションは”マイクロバイオームサイエンスで、患者さんの願いを叶え続ける“ことです。同じゴールを目指す最高のチームが生まれ、いまはその仲間が徐々に増え、患者さんのための新しい世界を切り開いています。
メタジェンセラピューティクスは、日本におけるマイクロバイオーム医療、創薬のフロンティアとして、必要とされる医療、医薬品を日本の患者さんに1日も早く届けていきたいと思っています。この記事を読んでくださった方々にも、当社が切り開いていく新しい未来にぜひ大きな期待をいただけたら嬉しいですね。
【中原 拓 プロフィール】
メタジェンセラピューティクス株式会社 創業者・代表取締役社長CEO
バイオインフォマティクス研究者としてキャリアを始め、のちに自身が関わった研究で2008年に北海道大学発ベンチャーを製薬企業とともに創業、約6年間ニュージャージー州でバイオインフォマティクス責任者を務める。その後、日系大手消費財企業、米系ベンチャーキャピタル、日系ベンチャーキャピタルで新規事業・スタートアップ投資を行う。
2020年にメタジェンセラピューティクス(MGTx)を創業しCEOとして日本のアカデミア・企業発のマイクロバイオーム医療・創薬シーズの事業化を目指して奮闘中。MGTx本社は山形県鶴岡市、東京事務所はCIC東京内で本人は札幌在住。
札幌市バイオビジネスアドバイザーとして地元のバイオイノベーションエコシステム構築活動も行う。
Photos: Yuto Kuroyanagi
Writer: Yutaka Okoshi
Editor: Ayako Iwatani